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第635号(2017.6.19~2017.6.25)この世は全て催眠だ(378)〜「ビギナーズ・ラックの不思議」〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(378)
「ビギナーズ・ラックの成因は?」
 ビギナーズ・ラック」……この不思議な現象は、厳然として起きています。ならば、そこに何らかの法則があることは確かでしょう。
 私の人生で、このビギナーズ・ラック現象は、頻繁に起きました。そして、そのほとんどが「思いもよらない……」という無意識の領域で起きたことでした。その最大のものが、演歌「おもいで酒」の大ヒットだったと思います。
 この現象を分析しましょう。先ず、私……作曲という立場ではありましたが、作ったのは24歳の時でした。その時の私は、自分の将来の歩むべき道で、父・郁(いく)郎(お)と絶えず言い争いの毎日でした。父は自分が大きくした(株)ウメタニ(=畳とインテリアの30人程の従業員を抱える店)の次世代を託そうと、私を二代目として育ててきました。しかし、その意識が強すぎたのか、私が傾注する音楽の魅力に徹底して、悪口と嫌味で牽制してきたのです。本当に、悪夢のようなハイティーンを過ごした私は、半ば音楽の道などと言うことは意識にありません。しかし、音楽の持つ独特の雰囲気と魅力には、純粋に惹かれてゆきました。
 そして、紆余曲折の結果、大阪の放送局朝日放送で事業部副部長の高田直和先生と出会います。(この辺りはまた後日)
 高田直和先生は、当時48歳。明治大学出身で在学当時は古賀政男先生の創設したマンドリンクラブのマネージャーをし、その役職のお陰か、古賀先生の作詞するときのスタイルやスタンスを身近で垣間見ることができ、自身も古賀先生に憧れ、良い詞を書きたいと無心に思っていた青春時代を歩まれました。
 そして、そんな思いが潜在意識に透徹したのか、芸能界にほど近い放送業界に就職し、頃合いを見ては趣味と実益を兼ねたという程度に詞を作っており、事業部主催の番組のテーマなどを作詞していたのです。

 

★★全ての人間が無心だった「おもいで酒」★★

 

 そして、歌手の小林幸子さんも、古賀政男先生に見いだされ、「うそつき鴎」というデビュー曲でそこそこの売り上げはしたものの、以後は鳴かず飛ばずの状態が続き“苦節15年”が流行語になったほどの状態でした。
 もちろん、「いつかは紅白」と夢見ていたでしょうが、それは単なる“夢物語”で、心の内実は「私には到底無理な世界!」と、それまでの自分の歌生活の経緯から自信など微塵も無かったようです
 そして、彼女が当時所属したレコード会社のワーナー・パイオニアには、演歌や和風ポップスの担当者は、全国でほんの数名しかいない……言い換えれば、ヒット曲など出る訳がないと初めから諦めていた状態だったのです。
 そして、小林幸子さんが当時所属していた第一プロダクションは、多くのヒット歌手を抱える有名プロダクションで、逆説的に言えば、経営が成り立っているが故に、明日が海のものとも山のものともつかぬ小林幸子は、重荷にも感じない存在だったのです。
 このように書けば、作詞・作曲・レコード会社・プロダクションと総てがマイナス感情の渦が巻いていたといって良い状態ですが、この四者を反対側の視点からの見れば、第一に、小林幸子や楽曲の「おもいで酒」に対して、全く欲得の感性から離れた所から接することができたとも言えるのです。
 先ず、作曲の私ですが、クラシックの世界に我が師・宇宿允人先生に19歳でスカウトされ、20歳から多くのコンサートでソリストとして抜擢されていましたが、所詮、お金には縁の遠い所にありましたので、音楽を作ってお金になるなど全く想念にありませんでした。言い換えれば、それだけ“音楽”に純な態度で臨めたのです。つまり、欲得の世界からは全く無縁の境地で音楽に挑戦していたのです
 そして、作詞の高田直和先生も、これはまた潤沢な給料の放送局に勤めていたため、良い詞を書きたいという思いを、生活に結びつける必要が無かったため、これまた純粋な気持ちで、天才・古賀政男先生から伝授された大衆音楽のパワーを真摯に受け継ぐ境遇にあったのです。
 そして、レコード会社ワーナー・パイオニアですが、アメリカを代表するワーナーブラザースと日本のオーディオメーカー・パイオニアが合弁で作ったポップス系の会社です。その演歌斑に配属された人達の心境を、今、この年(65歳)になって振り返ると、大きく二つの感性に分かれたと思います。一つ目は、主流から外された為の投げやりな心。二つ目は、どこかで一矢報いることができれば、しかし、そんなうまい話はないだろうという諦め感です。これも、逆な視点から見れば、忌憚ない心であったとも、宙ぶらりんであるが故にエネルギーは余りきっていたとも言えます。
 そして、最後に第一プロダクションも、小林幸子に期待していない故に、フランクな態度で彼女に接していたのです。
 この四者の共通項を分析すると、たった一つ「執着がないけれども、音楽には純であった!」のです。つまり、一朝事が起これば“集中”する準備が整っていたともとれるのです。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/