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今週の喝 第497号(2014.10.27〜2014.11.2) この世は全て催眠だ(239)〜感性を磨こう!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(239
〜感性を磨こう!

 先回、我々人間は五感(眼耳鼻舌身)とそれを統括する「心」が加わった六根で世の事象を判断し、そして、その判断基準に沿って自分の行動を決定するというお話をしました。
 しかし、その判断基準はどのようにして出来るのでしょうか。また、その判断基準が間違っていたら、それこそ人生をおかしくしてしまうかもしれません。その為に、六根は清浄(しようじよう)でなければなりません。山伏たちが修行する山では、「慚愧(ざんぎ)、懺悔(ざんげ)、六根清浄」と唱えながら回峰行(かいほうぎよう)を行います。
 慚愧(ざんぎ)とは、「罪を恥じ入る心」。“慚(ざん)”は「自分に対して」、“愧(ぎ)”は「他人や天に対して」恥じることという意味です。また、懺悔(ざんげ)は、「過去の罪を悔い詫びること」です。従って、慚愧は、現在の社会に対して、懺悔(ざんげ)は過去の所業についての悔い改めを表しています。だから「慚愧、懺悔」とは、平たく言えば「空間と時間」……則ち、「宇宙=神」に対して、自分の所業を悔い改めると言うことです。
 そうすることによって、自分の感覚器官(五感)が、正常に働いて、「心」を明鏡止水に保つことが出来るようにという願いが、「六根清浄」です。
 人の判断基準は、感覚器官がみな正常に働く「六根清浄」の状態でなければ、心が乱れます。例えば、六根の筆頭にある“眼”に小さなゴミが入っただけで、私たちは正常な心も行動も保つことが出来ません。同様にあらゆる感覚器官は、正常に働いているときは、その感覚器官が存在する事すら忘れてしまいます。般若心経では、「無眼耳鼻舌身意」と謳われているのは、目や耳などの感覚器官が意識に全く上らなくなっているときこそ、“正常”に働いているからです。
 無意識であるからこそ、いちいち気にせず我々は正常な生活を営めるのですが、反面、意識に上らないために、無茶をしてしまいがちで、それが病気の元となるのも、天の悪戯でしょうか。
 我々は、六根を気にせずにいること(無意識)こそ、心身が健康な状態なのです。だから、何も異常のない状態=無意識の状態に“感謝”の心を持たねばならない、しかし、何の苦痛もない故に忘れがちという、真に厄介な状態に置かれているのです。

 

★★感性置換によって、人は磨かれる★★
 心身共に正常(清浄(しようじよう))であると、我々の意識から清浄が離れてしまうため、それを防止するために「宗教」が生まれたと私は思います。
 宗教は、我々の意識外のエネルギー(Something Great)を、想定し、そこに信仰という心を喚起させて感謝させる心の誘導装置です。心身の健康である清浄状態は、「感謝の心」で無意識を意識化することによって、そこに注意力が生まれ、その健康状態を保つべく自制心の喚起と不調(病気など)へ防御策を心するようになるのです。
 このように、健康であるときは、健康を意識しないというパラドックスの中に我々はいます。そんな状態の中でも、事象の判断は五感によって行っています。ややこしい言い方ですが、単純に言えば、五感六根が清浄に働いている時、物事に対する正しい判断ができ、それが狂えば、間違った判断や思考になるのです。
 そして、我々は、自分の身に起こる事象を分析するのに、五感から得る感覚=視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の何れか、または、それらを複数用いて“心”が判断します。そして、この五感をフル動員を状態を「全身全霊」と言います。 つまり、五感が感受した情報を脳が受け取って処理し、それを心が判断して行動に移すのです。だから、この五感を研ぎ澄まし、それを出来るだけフル動員することが、“優秀な人間”へのパスポートです。

 それでは、どのようにすれば、五感六根を磨くことが出来るのでしょうか。その答えは、「感性置換」にあります。
 感性置換とは、目で見たものを音に置き換えたり、嗅いだ匂いから物事や人物を想像するという、五感のやり取りです。
 芸術は、この感性置換を誘発することで成り立っています。特にその傾向は音楽に顕著です。ベートーヴェン作曲交響曲第5番ハ短調の一楽章の第1テーマ「ジャジャジャジャーン」を聞いて、花畑をイメージする人はいないでしょう。フランスの作家のロマン・ロランはこのテーマを聞いて興奮し、「運命は、かく扉を叩く!」と言ったことが機縁になり、この曲が「運命交響曲」と呼ばれるようになりました。
 このように、感性置換こそ我々のイマジネーション(想像力)を活性化させる最大要因です。
 また、ココ・シャネルが晩年(お婆さんになってから)作った香水「シャネル19番」を、彼女自身がそれをまとってモンマルトルの丘を歩いていたとき、後ろから一人の新聞記者が思わず「お嬢さん?」と声を掛けてしまったという逸話があるくらい、香りは人の年齢をも想像させます。これが、感性置換です。
 感性置換は、人間の感性を磨き、理想を描く最も有効な手段なのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/