M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第483号(2014.7.21〜2014.7.27) この世は全て催眠だ(225)〜能動・受動の分水嶺は、自分の心の障壁がもたらす〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(225
〜能動・受動の分水嶺は、
 自分の心の障壁がもたらす

 私のところにクラリネットを習いに来ていた東大阪市にある大川創業株式会社社長(当時)大川進一郎氏は、自分の企業理念や経営手腕から、理想を描くイメージ力に大いなるエネルギーがあることを実感し、その潜在能力を大活用して、企業経営しています。
 大川氏は、私どもに音楽を学びに来ていたとは言うものの、年齢は私の母と同じ、そして、大きな会社を経営する実業家です。まさに、海千山千の修羅場を幾度も体験した猛者であります。そんな、人生の先輩である大川氏から見れば、私の悩みや人生の行き詰まりは、自分の人生に照らし合わせても「目標の希薄さ」が鮮明であると映ったのは明らかです。
 そこで渡された一冊の本、「シルバ・マインドコントロール」。そして、目の当たりにした催眠法による人間の持つ「火事場の馬鹿力的パワー」を秘めた潜在意識のエネルギー。この理論と現実に、人間の成功失敗の分水嶺がここにあるように思い、今度は、弟子であるという固定観念で見ていた大川進一郎氏を、人生を誘導してくれる師であり、成功哲学を私に教示するために、私と出逢った天の使いと思うようになりました。
 すると、不思議なことに、今まで何か分からないまま心に横たわっていた障壁が、嘘のようになくなり、大川氏の言うことがストレートに吸収することが出来るようになったのです。
 このときは私は人生で初めて
 「心構えを変えることによって、人生を変えることが出来る」
という人間の大定理の予感が身体を走りました。
 能動・受動とよくいいますが、それは、自分の心の方向性のことだと思っていましたが、実は、己の心中にある、我や自尊心、他人に対する姿勢や思い込みが自分の中に障壁を作り、外界と自分を遮断していたのでした。
 
★★敵は本能寺にあり!★★
 ホセ・シルバ「シルバ・マインドコントロール」には、心にクッキリと鮮明に描いたイメージは、我々人間の生理や生体に現実と同じ効果を与える。つまり、我々人間には“イメージと現実”の区別なく、生体反応が起きるので、先ずはイメージ作りの方法から始めるのです。
 その方法とは、「スクリーン討論法」です。
 まず、ゆっくりとリラックスできる環境の中で(椅子に座った状態でも、寝た状態でも可)、深い呼吸で心身をくつろがせます。そして、目を閉じた状態で、前方2メートルくらいのところに“大きな白いスクリーン”を思い浮かべるのです。この時、自分の心に「こんな事が本当に成否を分けるのか?」などという疑いの心があると、この白い大きなスクリーンすらイメージできないでしょう。
 逆も真なり!……イメージ化が起こらないと言うことは、自分の心にわだかまりや気散の状態になっているのです。ここだけは、自分を信じて、自分の力で自分自身を訓練に立ち向かわせなければなりません。
 信じろ!といっても、何も他者を頼りにするわけではなく、自分自身の中にある心との葛藤ですから、たとえそれが間違っていることであっても、現実的なリスクは全くありませんので、気軽な気持ちで挑戦してみて下さい。
 この“スクリーン”は、あなたがこれから「想像の翼」を広げ、あなたの成りたい姿や理想の環境を映し出す“心の鏡”ですので、どんな映像も、4Kテレビのように鮮明にクッキリ映し出せるものでないといけません。その鮮明度合いは、如何に自分の心が落ち着き、その想像の事象を望んでいるかどうかに掛かってきます。
 拙い私の体験から言うと、静かに瞑目しても、初めは真っ暗で何も浮かんできません。そんなときは自分の頭脳(俗に左脳の論理)が、イメージしようとする右脳を妨害しているのです。一般に頭脳明晰といわれる人は、この論理脳が発達しているので、記憶力や計算能は素晴らしいのですが、イメージ力が弱くなります。
 比叡山の千日回峰行や十二年籠(ろう)山(ざん)行(ぎよう)を実践された方に伺いましたが、あのような高僧も、この初めの「スクリーンを思い浮かべる段階」(まだ、そこに映像を映し出していない状態)までになかなか到達できなかったと話しておられました。つまり、この心のスクリーン映像が右脳と左脳のスイッチのインジケータ(バロメータ)の役割を果たしていると考えて、自分の状態をチェックする計器板だと認識して下さい。
 深い呼吸を続けていると、真っ暗な状態でも、やがてそこに光が生じ、それがだんだん鮮明化して、やがてハッキリと素晴らしい真っ白のスクリーンを思い描けるようになります。決して焦らず、気長に自分の中にある論理的な自分を追い払うのです。
 それは、まさに“克(こつ)己(き)”……自分の敵が自分自身であったことが分かる瞬間です。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/