M&Uスクール

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今週の喝 第423号(2013.5.27〜2013.6.2) この世は全て催眠だ(165)〜「苦」は修正の合図!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(165
〜「苦」は修正の合図!

 人間は心の底からそのことを望むならば、必ずそれに対するモティベーションが湧いてきて、どんなに難解なことでも立ち向かう勇気が出る……これが、人生を素晴らしい方向へ導く“生命力”そのものです。
 上杉鷹山(うえすぎようざん)が家来達に家訓として与えた
 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
の明言は、まさに、人間のもつこの生命力を示したものです。
 今から20年前に、私は成功者と失敗者の分水嶺はどこにあるのかを研究し、「成功方程式」の究明に命を燃やしていた時、
 「そんな便利な方程式などある訳がないのでは……」
と、時々自分が解明しようとしていること自体、無意味なのではと挫けそうになりました。その時、もう一人の理性的な自分が、挫けそうになる感情的自分を観察している事に気付きました。
 イランの宗教「ゾロアスター教」が、人の心に住まう光明神と暗黒神の葛藤を示したように、我々の中には、神と悪魔が同居しています。釈迦が菩提樹の下で、悟りへの最後の瞑想に入った時も、悪魔の声が“楽”への勧誘を仕掛けてきました。
 どんな聖者も、「楽をしたい」という思いが無意識に張り付いているようです。人間の執着や欲望は、逆方向から見ると、それを手に入れた時、“極めて楽”な状態になると思う心から生まれてくるようです。しかし、実際には、欲が欲を産み、止め処のない欲望の蟻地獄に引きずり込まれてしまうのですが……。
 このように、私は“私自身”を研究し分析した結果、人間とは自分自身の理性と感情・欲望の葛藤であり、真の幸福は、じっくりと世の法則(摂理)の形を見極め、その形に我々人間の側が沿うことによってのみ得られるという結論に達しました。
 そして、その究極的な幸福に到達するには、日々に自分の在り方を修正することです。その“修正が必要”という合図が「苦」なのです。つまり、苦とは、我々人間の思考や行動が世の法則・摂理からかけ離れている時に起きる現象なのです。

★人間の段階…聖・賢・凡・愚!★
 失敗や挫折は、「苦」を伴って我々は実感します。と言うことは、それは成功への修正の合図と解釈すれば、挫折する心そのものが、もしかしたら自分が「もうこれ以上やりたくない」という無意識から出た逃避行為なのかも知れません。
 ある人が、発明王エジソンに 「どうすれば、発明が出来ますか」と尋ねた時、 「眠らないことさ」とさらりと答えたのは有名な話です。
 この意味は、自分が願う“発明”と生理的感情的に出てくる“睡魔”がゾロアスター教の教義のように戦うようでは、発明という人間最大の生命力は喚起されないということなのです。つまり、「本当に心からそのものを求めているのか」が、その人間の生命力の鍵となるのです。
 思念の強さ、求めるエネルギーそのものがその人間の精神を構築しているのです。その精神構築の切っ掛けは“出逢い”によってなされ、自身の“気付き”によって定着し、“執念”によって継続力が育まれます。まさにこの三つのエネルギーは「欲求=求める力」が触発点です。
 以前にも書きましたが、聖人の“聖(ひじり)”とは「非知り」……つまり、物知りの完璧人間を指すのではなく、「知らないからこそ知りたい」という明快な“欲求”をもった人間のことをいうのです。ですから、人間はその求める心から、4つの段階に分けられるように思います。
 (1)愚人 (2)凡人 (3)賢人 (4)聖人 です。
 愚人は、“今すぐの楽”を求め、努力すればどんな人間も可能性が出てくるにもかかわらず、自らを「挫折」や「無能」でごまかして辻褄の合わない行動を厚顔無恥に行う人間です。
 凡人は、自らの人生体験こそ唯一で正しいと思い、他と比べて全てを判断し、自分より能力のある者は特別という範疇で片付け、自分自身を錬磨しようとはせず、好きなことや人間には近づくけれど、嫌いなものや人は遠ざける偏見に充ちた思考で行動します。
 賢人は、ものの道理をわきまえ、努力や辛抱によって自分が磨かれることを知り、人と人との関係こそ全ての機縁であると気付いた人で、世のため、人のためにその身を費やします。
 そして最後の聖人は、この世に人が生を受け、人生を歩み、そして死を迎える真の意味を知ろうと努力を惜しまず、何事も手を抜かず、人間本来の在り方を、自らの心と言葉と行動・思考で示して行く人間の最高の形を求める人です。
 誰しも、初めは無邪気な愚人からスタートしますが、そこに心の素直さや欲求、継続力や探究心によって多くの機縁が生じ昇華して行くのです。従って、人の運命は、その人間の心構えによって自分自身が選ぶことが出来ると言っても過言ではありません。


その続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/