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今週の喝 第191号(2008.12.15〜2008.12.21) 〜偉人に学ぶ……楠木正成(13)〜

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偉人に学ぶ……楠木正成(13)

 さて、楠木正成は、桜井で我が子正行(まさつら)との永の別れの後、かねてより召集しておいた、河内、和泉、摂津、紀伊の軍勢と合流するため、尼崎へ向かいます。しかし、思ったより兵は集まってきません。楠木一族の中でさえ渋る者がいて、今の後醍醐天皇の下で戦おうという者が如何に少ないかを実感し、自分の見通しが間違っていなかったことを、深い憂慮の内に思い知らされます。そして、部下達は動揺し、
 「こんな小勢では、足利の大軍を相手には戦えまへん。大将は仮病を使い河内へ帰って千早にこもり、そこで前みたいに戦いまひょ。新田陣には、わいらだけで行きまっさかい、そないしとくなはれ」
 と、部下達は策を進言するも、正成は首を横に振ります。正成は、いくら待っても兵は集まらないことを知っていましたし、今一度千早に籠城しても、すでに状況が違うことを肌身で感じておりました。
 そして、5月23日の夜、京都への最後の上申書をしたためました。その内容は、
 「後醍醐天皇、今度の戦は必ず負けます。勝敗は常に人心にあります。元弘の戦い(千早・赤坂の戦い)では、はじめ私兵を金剛山に旗揚げしたのに、国中の人が後押しをしてくれました。こぞってあなたの新政を期待したからです。しかし、今度は違います。正成は河内と和泉の守護として勅命によって兵を集めたのに、私の一族でさえ腰を上げません。住人民衆はとても来ませんでしょう。天下はあなたに背を向けたことは明らかです。だから、正成が生きていても空しいだけです。真っ先に兵庫へ赴き、死んで見せましょう」

 

=人心の在処こそ勝敗の分かれ目=
 これを書きながら、正成は、悪党が民衆が河内の野づらから湧き上がるように立ち上がったあの頃を思い浮かべていたに違いありません。また一方では、賤しき一介の河内の男がこんな大きな事をしたのだという満足感が、正成の心をよぎったことでしょう。
 いつの世も、人心が離れては勝ち目はありません。現在(いま)、世界中に吹き荒れる大恐慌の嵐に打ち勝つ力のある者(企業)は、それこそ、その内外から支持を集めている者(企業)であり、そういうところだけが生き残ってゆくでしょう。そのことは、歴史が物語っているのです。都合の良い時だけ人を利用し、景気が不安定になると馘首(かくしゆ)(首切り)に及ぶような即物的経営者(指導者)は、いつの世でも最後には潰(つい)え去ること必定です。このような不測の事態に備えてリーダーは、人心を掌握しておかなければならないのです。人間がいったん幻滅にうちひしがれ、新しい世を目先に求めて動き始めると、必ず世は転換します。その原動力を読み取る力こそ、絶対的に必要なリーダーの智恵なのです。

 そして、建武三年(1336年)5月24日の夜が明け、正成はたった700の手勢で兵庫に向かいます。赤坂城で挙兵した時とあまり変わらないことに苦笑しながら、昼前には兵庫に到着。海からの足利尊氏の軍勢に備え布陣している新田義貞を援護する形で陣地の選定をします。
 その夜、正成は義貞の本陣を訪れ、先般、義貞を差し置いて尊氏と和睦すべき事を後醍醐天皇に上奏したことを詫び、お互いの心情を確かめ合い、夜もすがら明日は勝てる見込みのない正成、義貞の二人の武将は杯を重ねました。
 5月25日、ついに兵庫を流れる湊川沿いで両軍は激突します。海岸に陣を敷いた新田軍は当初から、海と陸から挟まれて総崩れとなり、戦線は伸び、正成との共同作戦にうつれません。そればかりか、自軍の中から足利軍に寝返る兵まで出る始末です。一方、正成は満を持して容易に戦端を開きません。そこへ足利の本軍がヒタヒタと迫るのですが、正成が何かの奇計を策するかも知れないと警戒し、軽々しく討ってかかりません。
 今でこそ両者はこのように対峙し戦っているけれども、三年前は北条の鎌倉幕府打倒を誓って奮戦した同志。尊氏は何とかして正成の命を助けたいと思い、彼の降伏を待っていました。しかし、正成軍は鬼気迫る突撃を繰り返し、尊氏軍を圧倒します。しかし、その度に自軍の損失も増え、疲労も困憊の域に達しました。そして、ついに尊氏は一斉攻撃を命じ、その6時間後、正成は生き残った72名の部下と共に一軒の民家へ入ると、死出の念仏を唱えて家屋に火を放ち、全員が自刃(じじん)しました。
 正成は、弟正季(まさすえ)と短刀をもって向かい合い、互いに相手の腹を刺したと言われています。午後4時頃でした。正成享年42歳

(教訓)
 この時、正成は正季に
 「お前の今の願いは」と訊ねたら、
   「七生報国」
 七生まで人に生まれ変わって
 朝敵を滅ぼしたいと答えます。
   「罪深い悪念ながら自分も同じ」
 と正成が言った。と太平記にありますが、
 経緯から見てほんまですやろか。


この続きは、また来週……('-^*)/