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今週の喝 第182号(2008.10.13〜2008.10.19) 〜偉人に学ぶ……楠木正成(4)〜

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偉人に学ぶ……楠木正成(4)

 はてさて、私は今、楠木正成という武将をテーマにこの「今週の喝」を書いていますが、実のところ彼のことが本当に分かっているのは神戸湊川で討ち死にする時からさかのぼること、たった六年です。ところが、作者不詳の「太平記」という軍記物語には、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北分裂、そして足利二代将軍義詮(よしあきら)の死去までの約五十年間が記されており、それを基に正成の物語が語られるようになったのです。
 太平記の「太平」とは、平和を祈願する意味で付けられたと考えられており、鎮魂的な意味合いを含む小説で、全四十巻からなる大作ですが、あくまで物語なのです。
 そして、登場人物が亡くなってから数十年のちに書かれたものであるゆえ、その真偽にはいささか疑問の残るところも多く指摘されています。また、この物語が「太平記読み」といわれる講釈師(僧)によって語られたため、最初は史実であったとしても、だんだん脚色され美談へと変形したことは想像できます。
 では「そんないい加減なものを、なぜ取り上げるのか」という問いに、私は決然と「当時の理想が記されているから」と答えます。例えば、正成の生まれたところは、現代の地名で言うと、東大阪市の玉串元町辺りという説や千早赤坂村だなどとまちまちです。しかし、そんなことは歴史探索家に任せておくとして、私は、この平成の世に生きる人間が、何か間違った想念に侵されていることに気付けば良いと考えます。
 多くの人が本来の正成像とは違った物語を想像していても、それはそれで、当時の人達の理想像であったことには間違いないのです。今を生きる我々が、その理想像に心惹かれるならば、その時代のスペクタクルな生き方をした人物を見習って、自分自身に「喝」を入れてゆく事こそ、このシリーズの使命なのです。

=武士の鏡・楠木正成=
 見事なまでに兵法を駆使し、私利私欲ではなく、戦そのものの目的(何のために戦うのか=道)を熟知していた楠木正成は、十四世紀という中世の時代にはとてつもない進歩派であったことは言うまでもありません。その思想は、本来人間の潜在意識(仁)に備わっている「愛」が表出したものと言っても過言ではないでしょう。
 要するに、彼は自分だけのことではなく、楠木家に付き従う民衆や家来達を「人」として扱い、そこから生まれる相乗効果の歓びをもって「勝利」と為したと私は思います。だからこそ、後年、後醍醐天皇の信頼を受け、その後、公家達の横暴から湊川特攻作戦に出陣せざるを得なくなった時も、自分(個)よりも公を優先する心(=忠義)が芽生えたから出陣できたのでしょう。そして、これが例え百歩譲って作り話であったとしても、その当時の人々が理想としていた人間の姿であったことには間違いありません。そこには、武士道の七徳目である義・勇・仁・礼・誠・智・信の全てがちりばめられています。

 さて、正成の活躍ぶりは、赤坂城、天王寺の戦術のあざやかさに加え、彼は徹底的に戦略を知っていたことが伺えます。戦術とは「戦い方」のこと。戦略とは「何のための戦か」を熟知し、その目的完遂のための基本的姿勢を指します。現代人は「金」という目先の欲望に振り回され、「お金を何に使うのか」という基本的観念を忘れてしまったために、亡者立国日本と言われるようになったと私は考えます。つまり戦略がないのです。
 もちろん、当時も利得抜きには忠義も主従も始まらなかったでしょうが、いったんスタートした人間関係は、名誉心と廉恥心において、それを覆した方が、世間から汚名を浴びせられたことは間違いありません。現代社会は、人のことに関心を持つ余裕すらないのが現状で、その結果、“世間体”という規律の根源が失われてしまったようです。
 正成は、後醍醐天皇の人望を受け、悪党と呼ばれる地方豪族であったにもかかわらず、名誉心と廉恥心に情念の火が付いたため、そのエネルギーを止めることはできなかったのです。名誉と廉恥という美意識には麻薬的要素があり、それがまた人間の誇りへと発展して行く根源的パワーなのです。このエネルギーに目覚めるか否かが、人の人生の大きな分かれ目なのかも知れません。そして、いったん目覚めた人間は「恰好良い生き方」をしてゆくのです。

(教訓)
 人望を集めたら、我(が)なんか吹っ飛んでしまいまっさ。
 人生、大きゅう生きまひょな。小さい!小さい!


この続きは、また来週……('-^*)/