M&Uスクール

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今週の喝 第773号(2020.2.10~2.16)この世は全て催眠だ(514)〜同じ事象で分かれた明暗!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(514

同じ事象で分かれた明暗!

 「今津音頭」作詞・作曲・編曲が完成し、バックバンドに今津中学吹奏楽部を使うことまで決まり、さて三味線・歌手の候補の方や「ア、ヨイショ」とかけ声を掛ける今津連合福祉会の浅尾会長はじめ幹部の皆さん、そして、我が父・郁郎と振り付けをすることになったまだ高校生の妹・泰子が一堂に会して行った初練習の日のことは、私の生涯の中でも絶対に忘れられない日となりました。これほど明暗がクッキリと分かれた人達を20歳の若さにして目の当たりにするとは思いもよりませんでした。
 今津連合福祉会の有力者の紹介による三味線チームのGさんは、楽器を片付けつつ、
 「やっぱり、生バンドと一緒にやるのは気持ちよろしいでんな」
そして、歌手のYさんは帰り際に私の肩をポンと叩いて、
 「あんた若いのにエエ曲作りましたな。これからもキバン(リ)なはれや。レコードが楽しみやね」
と、ニコニコして帰って行ったのとは対照的に、私を初め、西村光照君、吹奏楽部のメンバーも顔面蒼白です。得津武史先生もだんまりを決め込み、重苦しい空気が音楽室に漂っています。
 盆踊りの日程は8月11日から三日間、今津小学校の運動場でテキ屋の店も多く出て賑やかに開催されます。この初日に、生演奏で発表の演奏会も計画されています。それまでの期日は2ヶ月チョイ!そのスケジュールで、既にレコーディングのために、西宮市民会館大ホールも丸1日、7月の第二日曜日に予約されています。レコーディングは、(当時)吹奏楽コンクールの録音を一手に引き受けている日本ワールドレコードが担当し、ディレクターはその会社の靱(うつぼ)社長と何から何まで決まっています。
 しかし、最も肝心な歌手と演奏者が、このタイトな時間でキッチリと仕上がるとは思えません。私は、
 「このままでは、どんなに自信を持って曲を作っても大恥をかいて終りや!どないすればエエねん。和楽器や歌手の知り合いなど私にはおらへん……あぁ困った、困った!」と焦りました・・。
 
★★思い切って自分の心を吐露すれば……★★

 そして、生徒達は帰宅し、私と父、そして今津連合福祉会会長の浅尾一雄さんの三人となった時、恐る恐る
 「お父さん、あのメンバーでレコーディングは無理や。下手すぎる!」
と切り出したところ、案の定、
 「何言うてんねん。下手なんを上手にするのがお前が長年やって来た、日本一にする腕とちゃう(違う)んか。もう、GさんにもYさんにもちゃんと(正式に)頼んでしもたから、ガタガタ言うな!」
 「そやけど、楽譜もろくに読めへん人に教えるのんは無理や!それに、自分達が上手(うまい)と思てる。処置無しや!」
とまあ、親子の親しさ故に、語気はエスカレートし、そこに感情が加わって、暴力沙汰に至る一触即発の状態にまで発展したその時です。浅尾会長が、(うちの父に向かって)
 「梅さん、息子の言う通りや。あれはプロやない!ワシ等も悪かった。町の手習いのオバはんの言うことを信じて、メンバーを選んだんはワシ等や。ゴタゴタと口論している場合や無い。時間も無いし何とかせなあかん。今から京都に行くさかい、二人ともワシの車に乗れ……!」
と、私たちを高級車に乗せて、名神高速をひた走り。一路、京都は祇園宮川町にある“川(かわ)久(ひさ)”という置屋に連れて行かれました。
 二十歳の私は、こんな花街(かがい)に足を運ぶのはもちろん初めてです。京都の花街は、鴨川四条通りの界隈に祇園甲部祇園東宮川町先斗町、そして少し離れて北野天満宮の南に上七軒と五箇所あり、五花街と呼ばれ(昭和後期までは島原が加わって六花街)現在も昔からの伝統をシッカリと守って、仕込みさん→舞妓さん→芸子さんと、ミッチリ芸を学んで一人前になってゆきます。
 会長の浅尾一雄さんは常連のようで、父も一、二度連れてきて貰ったようです。玄関を入ると京都独特の香(こう)の薫りが出迎えてくれて、瞬く間に異次元感覚でした。そして二階に通され暫くすると、生粋の京都人を彷彿とさせる女将(おかみ)の里千代(さとちよ)さんが上品な中に打ち解けた作法で部屋に入ってこられ、少しの間世間話で座を盛り上げ、
 「ところで、今日は突然のお越し、ビックリしましたで。何か急ぎのご用どすか?出来ることなら、何でもしますよって言うておくれやす。」
と、力強いお言葉です。そして、里千代さんと眼が合って、
 「お若いこちらはんは……?」

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/