M&Uスクール

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今週の喝 第768号(2020.1.6~1.12)この世は全て催眠だ(508)〜旅立ちにも“意味”がある〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(509

旅立ちにも“意味”がある

 令和2年 「明けましておめでとうございます」
我がSCHOOLの理事長で心華寺住職の斯波最誠和尚が急逝したのに、このようにノー天気な新年の挨拶はバカ丸出しのように感じますが、私と和尚は生前より
 「生き死には、日常茶飯事!この世に生を受けた者は、誰も避けることの出来ない業縁である故、腹を据えて受け入れよう。そして、いつもと変わらない心でお互いを見つめよう」
と約束しておりました。それ故、敢えて新年の祝賀を書いた次第です。
 斯波和尚は、15年来の“間質性肺炎”の悪化と、“リウマチ”による手の関節痛で相当苦しんでいました。そして、それが元で“滑膜肉腫(かつまくにくしゆ)”併発し、あの辛抱強い和尚をして、
 「ワシは修行で痛いのは耐えてきたけれど、今度の病で間欠的に襲ってくる激痛には音を上げるなぁ」
と素直に弱音を吐いていました。
 私も一昨年の“硬膜外腫瘍”の痛さを思い知らされているので、その苦痛の凄さは身に染みるほど分かっています。“痛み”は「死」より恐ろしい所業と感じました。
 和尚の病は、私を含め和尚を心から愛する人達にとって、自分達が何も出来ない無力感無情感を思い知らされました。
 この項でも、raison d'être(レーゾンデートル:存在意義)について屡々(しばしば)書いていますが、和尚が自ら味わい、自ら旅立って逝ったことにも、深い意味があると私は思います。
 逝去後の穏やかすぎると言っても過言ではない安らかな顔は、阿弥陀さまの元に旅立たれて良かった痛みから解き放たれて本当に良かったと思わずにはいられませんでした。和尚の旅立ちは、私の心の中に同行二人でいてくれる契機となったと、心より感じております。斯波最誠和尚を慕い、教えを請うてきた人達は皆、即身仏として和尚を心に宿しているに違いありません。

 

★★真の欲求は活火山!★★

 お釈迦様が、四諦(したい)“苦集滅道”を説き、この世は四苦八苦の憂いで満ち溢れていると最初に悟られたのは、その「苦」の中にこそ、自分のカルマ解消の手がかりがあると感じたからでしょう。カルマとは「原因と結果の法則=因果律」です。何者か(たぶん仏さま)が何かに「気付け!気付け!」と言っているに違いありません。または、キリスト様やお釈迦様のように自ら苦を背負って、我々凡夫に戒めをもたらしているのかも知れません。
 かく言う私も、19歳、高校卒業後の1971年4月1日に、頭部を強打し「逆行性健忘症」を患う交通事故に遭いました。意識回復後は不定期に襲ってくる偏頭痛と耳鳴りを伴った目まいや吐き気に、約半年の間苦しめられました。今、この年(67歳)になって往時のことを思い返すと、この事故の根本原因は、「ようし、勉強するぞ!」と意気込んではみても、自分の真の思いからではなく、周囲の皆に感化されただけの“似非(えせ)の決心”を天が暴く所業であったように思います。
 事故後の1週間は、意識が朦朧とした中にも、寝ながらにして天井がグルグルと廻る目まいの中、不思議に心地よい音楽が聞こえてくるのです。あとでそのメロディーが、ベルリオーズ作曲「幻想交響曲」第2楽章“舞踏会”のワルツだと分かりました。不思議です!それまで、聞いたことがないメロディーが無窮動(終わらない)で耳元に聞こえてくるのです。そして、とても美しい春の花畑の中に寝そべっていて、遠くには鉄橋があり、時々電車が走るのどかな情景のイメージの中にいるのです。
 あれから50年近い歳月が流れたのに、その情景と音楽はリアルに私の記憶にあります。現在(いま)、潜在意識の研究を30年以上してきた私が思うに、このような事象は、意識が朦朧(もうろう)としていたり、意識が無い状態の時に、自分が長年月掛けて強い思いで打ち込んできたものが浮かんでくるのです。それは、シッカリと脳の深いところに刷り込まれているため、表層意識(社会性や常識の覚知)が頭部打撲によって休眠したことによって、自分の根柢にある「真の欲求」活火山の溶岩の如く噴出したのだと解釈しています。
 現に入院中、日毎日毎に美しい音楽への情熱が、身体の中で増してゆくのを感じました。そして、忘れかけていた(忘れようとしていた)“勇気”の源である「新世界交響曲第四楽章」のテーマ再び身体の内側から鳴り響き始めたのです。
 これは、真に自分が求めていることから目を背けるなという、“天の啓示”であったのでしょうか。その6月に、病室で撮った一枚の写真が手元にあります。それこそ和尚の安堵の顔の如く、あらゆる事に失望した浪人中とは思えない(自分で言うのも変ですが)堂々とした風格が感じられます。

 

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/