M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝  第765号(2019.12.16~12.22)この世は全て催眠だ(506)〜良い事も嫌な事も、全て自分の人生なのだ!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(506

良い事も嫌な事も、全て自分の人生なのだ!

 人生に於いて、少年から青年に移行する思春期(青春時代)は、本当に複雑な心境の時期ですね。まだ未体験の実社会での生活……言い換えれば、どのようにして生活してゆくのかを考えて安易にその道を模索すれば、学生アルバイトなど色々と抜け穴はあるでしょうが、それに時間を費やせば、自分のやりたいこと(音楽)が出来ません。かといってその音楽で喰ってゆく自信など皆無です。そのような時に、父はその人生経験から
 音楽なんかで飯を喰っていける訳がないやろ!畳屋を継ぐのが一番や。そんなに畳家が嫌やったら、お前の好きな道へ行ったらエエがな
と、ごもっともな意見を皮肉たっぷり込めて言ってきます。
 普通なら、この時代のことは「思い出したくもない」のですが、私は、こんな嫌な時期だからこそ、今も全てのことを鮮明に記憶しており、また、あの何をやっても心が晴れない時の自分の心情を大切にしています。何故なら、苦しく嫌な事象であるからこそ、そこから脱却する契機はどのようにして生じるのかを、常に確認しておきたいからです。
 結論から申します!
大学入試は7校受験し、全て不合格で、高校3年の時の担任・月田先生をして、
 「我が校始まって以来、ようスベりよったなぁ。新記録やで」
と、言わせしめたほど、ボケでアホでした。
 そんな中で、とても不思議なことが起こります。
 私の第一志望である関西学院大学の吹奏楽部部長・渡辺信夫さんが私の噂を聞いて、2学期が始まった直後に、渉内(しようない)部長を引き連れて、我が家を訪問したのです。内容は、
 「君の作曲作品も、また、フルートの技術も全て聞かせて貰ったよ。そして我が校を志望していると言うことも高校から聞いたから、何としても我が“関西学院大学応援団総部吹奏楽部”に来て欲しい。その為にも、こちらのコンクールが終了した11月中旬から受験までの2ヶ月間、勉強を教えに来てもエエから了承をお願いする」
というオファーでした。

 

★★どん底まで落ちろ!全てを捨てられるゾ★★

 そして、関西では名門中の名門である、関西学院大学経済学部に推薦入学するのための書類を手渡され、私の話を聞いたその出所である阪急少年音楽隊隊長・鈴木竹男先生の推薦状も認めてありました。
 そして一週間後に、渉内部長が取りに来てくれて、私は意気揚々、その事を父親や高校の先生方に、自慢心も大いに湧出して逐一報告しました。ところが、その文面の中で自分の今迄の人生で一番誇れることは何か?という欄があり、そこに私の直筆(悪筆)で、
 「吹奏楽連盟主催のアンサンブルコンテストで高校ではなく、一般の部で優勝し、その報告演奏会では大いに女子評を得た」
と、書いたのです。渉内部長は、
 「大学事務局に、君の書いたものをそのまま提出したんやけど、文の意味が分からないから、教えて欲しいと突き返されたよ。この最後の“女子評”っちゅうのは、女たちが喜んだという意味か……?」
と、聞いてくるのです。その時、私は冷や汗と共に自分のアホさを再確認したのです。私が「女子評」と書いたのは、「好評」と書いたつもりが「好」という字の間が開き過ぎて「女子」に見えたのでした。
 ここからは憶測ですが、それ以降も勉強を教えるために毎週一回私の家を訪れていた渡辺部長も、あまりの私のアホさ、気の無さにだんだん心が遠のいていったのだと思います。結局、1月初旬の推薦入学者発表の中に私の名前は、もちろんありませんでした。
 歴史に「if」はない!と言いますが、もしあの時、その中に私が選ばれていたなら、私は完全に社会そのものを舐めてかかる傲慢極まりない人間になっていたでしょう。もっと憶測すると、新入生として名門関学の吹奏楽部に入部しても、他の同級生達とは自分は違うという間違った自負心で、天狗になったり、イジメに遭ったりして、もしかしたら弾き出されていたように思います。
 何はともあれ、私はここでも、自分の能力を顧みなかった所為で「天国と地獄」の両方を体験させられ、父親からは「ドアホ」扱いされ、高校からは溜め息付きで諦められてしまいました。そして、行く宛て無し!結局、浪人するハメになったのですが、この期に及んでも、私の心にはまだ
 「自分を認めない周囲が悪いのだ!俺は役に立つ人間だ。今に見ていろ、絶対に関学の吹奏楽部に入ってやる」
という鬼のような心が息巻いておりました。
 しかし、さすがに関学を筆頭に大学7校全てを不合格となった私は、人生の終焉のような虚無的な感覚に陥り、引きこもりのようになり、これからの夢や希望など全くなく、音楽にすがろうという心も湧いてこなくなりました。そして、2月中旬のことです。持つべきは友!
 憧れの関学に合格した同級生の西村光照君が、
 「梅忠、よう分かったやろ。お前には才能があるのは知ってる。それを活かすためにも大学にもう一回挑戦したらどうや。勉強付き合ったってもエエで……!」
という天の声に、私は目から鱗が落ち、恥も外聞も見栄も全部棄てて、4月1日より西村先生の指導の下、「勉強するぞ!」と武者震いを覚えたのです。そして、運命の1971年4月1日がやってきたのです。

 

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/