M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第764号(2019.12.9~12.15)この世は全て催眠だ(505)〜自分の心に実在する「天国と地獄」…!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(505

自分の心に実在する「天国と地獄」…!

 人生に、いや、自分のこれからの生涯において、何をしてゆけば良いのか、好きなことは果たして職業になりえるかどうか…?
 迷うとは、このように頭の中を悪い妄想がグルグル回り、結局何にも手が付かない状態で、只々、世間や親、親切にしてくれる友人に当たり散らし毎日が暗澹(あんたん)たる想いで学校の授業を受ける日々が延々と続きます。
 これではいけないと思いながらも、全てが虚しさの中に陽炎(かげろう)の如くゆらゆらと揺れるだけです。私の高校三年生は、悪夢の幻想の中にあったようです。思い出したくもないのに、何故か鮮明に自分の記憶に残っています。
 そして、それを払拭しようともがけばもがくほど、益々、蟻地獄のように虚無感がポッカリと心に口を開け、私の心は音楽の世界に逃げ込もうとします。その結果は、1学期の期末の成績に如実に表れ、500人中ビリから30番でした。これが内申書として大学に添付されるのですから、もう絶望的です。にもかかわらず、勉強しようという気が全く起きないのに焦る心ばかりが湧いてきます。こんな、摩訶不思議な境地を自分自身が体験したことが、後にM&U SCHOOLを創設する動機の一つにもなるのですが……。
 中学から高校二年生の前半は、とても良い成績を維持できたにもかかわらず、好きなこと(音楽)への傾注と共に、成績がじり貧になり、勉強そのものの理解力を失って行きました。少々失礼な書き方になりますが、“落ちこぼれ”と言われる(当時の私は実際にその通りでした)人間の感覚と感性、そして勉強が出来ないというのはどのような心の有様なのか等々、本当に短い期間(6年ほどの間)に二つの境地を体験したのです。
 それは「天国と地獄」両方の境地を体験したのです。

 

★★勉強が分からない!★★

 最近は、学習塾の子供争奪合戦が喧(かまびす)しいですが、勉強の出来ない子供の心境がいかほどのものであるかを如実に理解している、学校や学習塾の先生はどのくらいいるのでしょうか。
 夜回り先生こと水谷修先生は、高校教師として生活指導を担当したのを切っ掛けに、世の“落ちこぼれ”の多くが、自分で整理できない心を不良になって“非行”に走ったり、引きこもって“うつ”状態になることで、「無意識に自分の存在意義を確認しようとしているのでは」という発想で、そんな子供等と真剣に向き合ってきました。それは多くのマスコミに取り上げられ、周知のこととなりましたが、つい最近、先生自身が自分のHPを閉鎖したことが報道され、私も寂しい思いをしております。今年の8月21日のブログで「さようなら」というタイトルの記事で、「只ひたすら続く日々何百本の相談に疲れました」という内容で、体力も気力もついて行けなくなったというような文面でした。
 私も、高校時代はこの相談者達と同様に「藁にもすがる気持ち」を体験しました。本当に必死なのですが、どうしても気(心の方向性)を常識的な方向に持ってゆくことが出来ない。もしかしたら、私自身、この遣る方なき心を、非行、うつになることで解消しようとしていたかも知れません。
 私が幸いだったのは、私には“音楽”があったので、子供の頃より、苦しいときや自分の心が押しつぶされそうになったときは、名曲の旋律を思い浮かべることで自分を鼓舞してきました。とくにドヴォルザークの「新世界交響曲第四楽章」の第1テーマに救われたことが幾度となくありました。しかし、この度は、その“音楽”の世界の魅力に取り憑かれ、大学受験という大切な時期に必要な勉強が全く手につかない状況です。自分自身でも振り返ると恐ろしい「勉強が全く分からない」という心理を体験したのです。
 しかし、世間に迷惑を掛けなくて済んだことが「幸い」だと今は思っています。もし、私が「音楽」への傾注無くして同じ心の状態を体験していたなら、例外なく、非行、うつになっていたのではないでしょうか。私は、音楽に救われたのです。
 国語や英語が全くダメ、社会(歴史)にはとても興味がありましたが、年号を覚えられない(覚える意味を見出せない)ので、やはり成績はかんばしくありませんでした。しかし、中学時代の体験から生意気さだけは残り、まだアマチュアと言えども、音楽の世界では多くの人達に認められたという自負心がより一層自分の心を歪め、“我(が)が強くエエ格好しい”の見栄っ張り性質だけが突出していました。音楽に救われた私が、音楽に押しつぶされそうになる……本当に不思議な体験です。
 「天国と地獄」の両方を体験し、音楽という芸術によって自分の心を「励まされ、又、かき乱される」という希有な体験を最も多感な時期にしたことが、私の人生に多くの気付きを得るものさしとなるのですが、このお話はやがてタップリとしてゆきますので、乞う!ご期待……。
 ここで述べたいことは、自分にとって嫌で地獄だと思ったことも、年を経ればその時期があったからこそ、現在(いま)の自分があり、素晴らしい人生と思えるのです。まさに、「人間(じんかん)万事塞翁が馬」なのです。 

 

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/