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今週の喝 第763号(2019.12.2~12.8)この世は全て催眠だ(504)〜学校の成績は頭脳の善し悪しで決まるのか…?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(504

学校の成績は頭脳の善し悪しで決まるのか…?

 いやはや、人間というものは、そこに“気”を無くしてしまえば、それはもう生ける屍(しかばね)状態になります。私には高校生当時、世界が二つあり、完全に“気”が二分化されておりました。
 一つは、音楽に身を置く私です。高校1年入学と同時に西宮市吹奏楽団に「フルートを用意するから」と招聘(しようへい)され、意気揚々と母校の今津中学校を指導し、市立西宮高校コーラス部の指揮と編曲の機会を与えられて、それに邁進する私……。そして、吹奏楽連盟が主催する日本初のアンサンブルコンテストに、高校の部ではなく、ワンランク上の一般・職場の部に出て優勝し、その報告演奏会を、西宮吹奏楽団の定期演奏会で披露するなど、その世界では多くの人達に名を知られておりました。
 もう一つは、大学入試をひかえた只の受験生としての私です。こんな思春期は、一般の人間が歩む道を何の疑問も持たず歩むのが常人の動向ですが、私は未来の結果(大学入試)など全く眼中になく、自分の好きなことに傾注していたため、成績の急降下と共に、父親(郁郎)との確執が再燃し、こちら側では自暴自棄といって良い状態でした。
 自己弁護的ですが、こんな二分した思春期を経て明快に言えることは、学校の成績は決して頭の良し悪しで決まるのではなく、その人間の主義や趣向、興味や情熱によって決まります
 しかし、世間は“成績”という明快な結果でその人間を判断するため、私は、ハッキリ言って「落ちこぼれ」の烙印を押されていたように思います。あれから50年あまり経た現在、よく当時のクラス会が開かれますが、進学に成功した人達は、それこそ世間や先生、親の意見に素直に従い、目標(大学合格)に向かってあまり疑問を抱かず、まっしぐらに進んだ優等生達でした。

 

★★目的の“発見”こそ頭脳錬磨の基★★

 こんな折りも、私を擁護してくれる先生方の教科……例えば、上田先生の生物、柳原先生の地理、白井先生の政治経済などはとても良い成績でした。それに引き換え、芸術選択の音楽は担当のT先生に授業中に逆らいまくったため散々な成績でした。T先生はコーラス部の顧問でもあり、いつも正統派の女声コーラスを目指すよう私に指示してきたのもあって、バトルに近い諍(いさか)いが始終ありました。これでお分かりのように、私が目指す(自分の意思ではなく、周囲に言われた結果)文化系の大学に必要のない教科ばかり成績が良く、肝心の国語や英語はまるでアホの回答しか出来ませんでした。特に現代国語の、「文中に出てくる“あれ”とは何か」といったような問題、そして難しい漢字の読み、また古典や漢文には全く指向が向かず、成績はそれこそ「こてん古典(こてん)!」「ちんぷん漢文(かんぷん)」でした。当時を思い返すと、「勉強が分からない」のではなく、「勉強する意味を全く見出せなかった」ゆえに、その“気”が起きなかったのです。それは、今でいう発達障害アスペルガー的要素でした。
 こんな中学・高校生時代の自分を現在(いま)振り返って分かるのは、“気”の指向が最重要で、心の中が何で占められているか……英語で言えば=inter establishment(縮めてInterest=興味)こそ、最大のエネルギーだということです。
 ですから、勉強を教えるというのは、記憶一つとっても、指向が向けばやる気が出て眠気も吹っ飛ぶ状態になります。東大入学の秘訣を尋ねられたら、「三当四落(さんとうしらく)」(3時間の睡眠で合格しても、4時間ならば落ちる)といわれるように、また、エジソンが新聞記者に「発明の秘訣は?」と尋ねられ、「眠らないことだよ!」と答えた真の意味は、寝ることより大学入試や発明が好きだということなのです。現に私も、作曲や編曲を依頼された時には、まさに“不眠不休”状態で猪突しました。現在も高校生当時も、それに関してはあまり変わりはありません。従って、どうすれば目標に興味を持つことが出来るか……言い換えれば、目的意識(何のためにやるのか)を如何に見出せるかが、頭脳錬磨の根本です。
 一般社会が、その目的を単純に“金銭”に求める人間達によって阿修羅(あしゆら)化、亡者化しているのは、金銭の使い勝手の良さに翻弄され、楽得を求めているからにすぎません。何故なら、金銭は裕福になるための“手段”であっても、決して“目的”にはなりません。人間はこの世に生を受けた以上、そこに人生の意義=存在意義(raison(レーゾン) d'être(デートル))を見出さなければ、社会に役立ちません。役立つ人間とは、周囲にいる人々や社会に感動と笑顔をもたらす存在であることです。それは、その人間から発する“気”が周囲に向かって「放出のパワー」であることが肝要で、決して自分自身の利得の為の「吸着のエネルギー」であってはならないのです。
 今でこそ明言できますが、その当時は訳も分からず、只々自分の心の赴くままに、(とは言っても常に不安を抱えながら)一所懸命に音楽の修練に勤しんでいたのです。そして、その結果は……?

 

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/