M&Uスクール

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今週の喝 第759号(2019.11.4~11.10)この世は全て催眠だ(500)〜“心”って何だ……!?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(500

“心”って何だ……!?

 「努力は報われるや否や……?」
この命題を抱えたまま高校生になった私は、ある意味、幸せでした。それは、私を今日たらしめてくれた得津武史先生を絶対的に信頼していたために、先生の「努力は報われる」を頑なに信じ、そしてコンクールの敗北を味わったのです。負けた時も、私は先生の言を盲信と言って良いほど信じておりました。多くの同期生は、その後「先生の教え通りに世の中は動かない」と思ったのか、先生の下を去り霧散してゆきました。
 しかし、私は逆説的に考えたのです。それは、
「先生は絶対である筈、ならば先生に何が足りなかったのか?」
という、狂信的とも言える考え方です。
 そのヒントとなったのが、我々今中に敗北をもたらす根本原因となった審査員・山田一雄先生の総評の言葉「中学生にジプシーの心は解らない」です。
 以前にも書きましたが、我々は先生から“音楽の三要素”をシッカリと究めてゆけばコンクールには絶対勝てると教わっておりました。その“三要素”とは、「リズム、メロディー、ハーモニー」です。つまり、演奏者(楽団)全員が一糸乱れぬリズム感で、完璧な音程とサウンド(音色)でメロディーを奏で、そのバックにある和音を美しく醸し出すことで、音楽は成り立つ故、その三要素をクリアするために、日々の楽器練習を欠かさないということです。
 これを基準に、毎日の練習を着実に行ってきたにもかかわらず、その他に「ジプシーの“心”」という全く耳にしたことのない要素が山田一雄先生より出されたのです。このように書くと、
音楽に心は当たり前でしょ!
と思うでしょうが、楽器初心者は“心”に気を配るなどほど遠く、楽器の習得に必死でした。得津先生も、音譜も読めない新一年生を仕込むのに、楽器のテクニックを教えるのが精一杯だったと思います。そして、立派に演奏できる三年になったと思えばすぐに卒業です。毎年毎年、輪廻のように入れ替わる子供達を前にして、先生も音楽に最も大切な“心”の存在が見えなかったようです。

 

★★心がなければ、エネルギーが伝わらない!★★

 私の高校二年生は、この“心とは何か”の追求から始まりました。そして、その秋には京都で、劇的に吹奏楽コンクール第一位に返り咲いた我が今津中学校吹奏楽部は、再びエンジンが掛かり、吹奏楽の雄として全国の吹奏楽を志す者の憧れの対象となりました。
 この年に、フルートを吹いていたのは私より二年下の中西昌文君です。彼は後に、野球で有名な報徳学園高校に進み、そこでも吹奏楽部に入部し部員みんなを牽引しておりました。みんな今中時代の強烈な教育の印象が全身に染み渡っているようです。
 彼は、染(そめ)殿(どの)湯(ゆ)という風呂屋の息子で、あだ名はポンタ!(二代目。一代目ポンタは私より一年年上で日本一のドラマーになった村上ポン太です)。中西ポンタは、報徳学園より大阪経済大学に進むも、やはり音楽が忘れられず、風呂屋を継がずに大阪府警察本部に警察官として勤めます。その目的は、欠員ができ次第、大阪府警察本部音楽隊の一員とならんが為でした。警察学校入学の後一交通警官として勤務しておりましたが、信念のたまものか、フルートに欠員が出来て見事に音楽隊員となり、定年までその任を果たしました。
 そんな高一の中西昌文君が、ゴールデンウイークも終わりかけの頃、私も高校三年となりいよいよ大学進学などの進路決定の時節であるにも関わらず、
報徳学園の応援歌をトリオ(中間部)に入れた、行進曲『以徳報徳』を作曲して下さい。お金は6千円しか払えませんが、是非、先輩にお願いしたいんです
と依頼されたのです。その時のことは今でも鮮明に記憶にあります。その年の報徳学園野球部は例年以上にファイト溢れるチームでしたが、応援団として参加する吹奏楽部は音も不揃いで見劣りがしました。そこで、何とか気運を盛り上げるために先輩の私に作曲を依頼をしてきたのです。
 私は受験勉強のことなど意に介さず、二つ返事で承諾し、そのマーチの作曲に取りかかりました。そして一ヶ月後、行進曲「以徳報徳」は完成し、中西昌文君にスコアを手渡しました。今考えると、この仕事が曲を作ってお金を貰った作曲家としての初めての仕事(初陣)でした。
 あらまし譜読みが出来た段階で、私は報徳学園に招かれ、顧問の松岡先生の指揮で彼等が演奏する行進曲「以徳報徳」を聞いて、その中間部にある「勝利の神は手をのべて」という、報徳学園で以前より歌われている応援歌にエネルギーが感じられないのに苛立ちを覚え、即、指揮を変わって貰い、指導に入りました。
 その時、ハッと気付いたのです。
「心がこもっていない!」と……。
そうです。心を込めるとは、自分自身が全身全霊でその事を完遂しようとしているかどうかなのです。決して、小手先の誤魔化しでは感じられません。それを、報徳学園高校吹奏楽部の演奏で気付かされたのです。
 音楽だけではなく、どんな所業に於いても、心と行為行動が一致していなければ、それはニセモノであり、心に響かない!相手に伝わらないのです。私の高校三年生はこんな気付きから始まりました。

 

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/