M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第758号(2019.10.28~11.03)この世は全て催眠だ(499)〜努力すれば報われる……!?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(499

努力すれば報われる……!?

 1966年(昭和41年)11月21日……梅谷忠洋、中学3年生(14歳)の秋……この日に、私の少年時代は終わりました。それは、以前にもこのコラムで書いたように、私が中学生活3年間を費やして培ってきた成果によって、メインレギュラーとして今津中学校吹奏楽部の伝統を守り抜こうとしたにも関わらず、奇しくも全日本吹奏楽コンクールで2位の成績に終わった日です。あの日の感覚は、67歳になった今でも、私の全身に大隕石衝突の余韻のように、そのバイブレーションは残っています。
 私の言う「少年時代」とは、何事につけ“失敗”しても、再び奮起すればやり直しがきく時期をいいます。しかし、自分達がメインレギュラーとして我が校の伝統の1ページを書こうとしたことが叶わず、二度と取り返すことの出来ない体験をしたのです。少年時代は、いくら失敗の憂き目に遭っても、また努力すればなんとか取り戻すことが出来る時代ですが、青年期に入ると、そんな自分の体験の中に、取り返しのつかないことがあることを知るのです。私はこれを「人生の一方通行」と名付けて、その事がどれほど自分の人生にとって重要なことかを知ったのです。
 小学校6年生の時に、その前哨として祖母・芳枝が老衰で亡くなりました。その時も、火葬場で骨になった愛する祖母を見て、この世の無常を知りました。しかしその時は、自分もいつかはこの祖母のようにこの世を去る時が来ると思いつつも、まだ自分がこの世で何かをやるというような使命感が生じていなかったため、只々、自分を可愛がってくれた人が居なくなったことへの寂しさで終わりました。
 しかし、中学3年の私は違いました。人間として最も大切な感受性を育む時期、二度と帰らない中学時代の総てを費やして1本の楽器・フルートに、文字通り「精魂」を込めてきたことが報われなかったのです。「努力すれば報われる」と教わったにも関わらず……!

 

★★求めよ、さらば与えられん★★

 人生の一方通行……誰しも、取り返しの付かないことを体験しながら、この世に生を受けた意味や、そこから感じ取った感覚感性で自分がこれから為すべき事やその為に必要な精神性を育んで行く……その為に、人生には“一方通行”のものが存在すると、今は私なりに理解しています。
 一方通行の最たるもの、それは、とりもなおさず“時間”です、時間だけは、いくら後悔しようとも元に戻ることはありません。それに伴って年齢も時代も、世代も平行移動してゆきます。そして、やがて死を迎えるのですが、これも我々の力ではどうすることもできない所業です。とすれば、「努力しても報われない世界」があることになります。なれば、“努力”など何の意味も無いというようなニヒリスト(虚無主義者)的結論になります。しかし、あらゆる宗教や哲学が我々に語りかける根本は、我が身に起こることには、総てレーゾンデートル(raison d'être=存在意義)があるということですから、ここに何かを見いださなければ、只々、生まれたら死を待つだけの虚無な人生を、四苦八苦して過ごす結果になります。こんな虚しいことのために時間は過ぎゆくのでしょうか。
 私は、いくら天ぷら棒の洗礼を受けようとも、得津武史先生を心より敬愛しておりましたから、先生の教えの第一義である「努力すれば必ず報われる」が間違いであると私はどうしても結論付けられませんでした。私は「そこには、何か足りない要素がある」と考え、その“何か”はもしかしたら得津先生自身も未だ気付いていないことで、私が先生の役に立てるとするならば、この“何か”を見つけ出し、先生の第一教義に補足すれば、得津哲学は完成するのではと考えたのです。そして、14歳の秋より、私はこの“何か”探しの旅に出発したのです。今の私から言うと、それは、二度と帰らない“一方通行のものを探す旅”でもありました。そして、数年前の愛する祖母の死が再びよみがえり、生まれてから死を迎えるまでの“人生”に、どんな意義を持たせることが出来るかが勝負だと今になって感じます。しかし、14歳にそんなことが分かるはずもありません。しかし、この頃は最も多感な時期です。考えるより行動する……私の場合、フルートを吹きまくり、音楽の探求を貪欲なまでに行って、“何か”を探し求めたのです。まさに、寺山修司の小説「書を捨てよ、町に出よう」(書物から学ぶ学問なんか捨てて、幅広く社会の実相を見よう)を地で行ったのです。
 すると、キリストの言葉「求めよ、さらば与えられん」の如く、私の周りに異変が起こり始めました。現在(いま)から振り返ると、まさしく、自分の身に降り掛かる事象、また、自分の取った行動は、寸分の狂いなく己が人生に反映されることの実感から、限られた人生内にやるべき事や見つけ出すべき事に傾注する切っ掛けが訪れるのです。それは、歓びとして私の心をノックする事もありましたが、人間の大半は、苦しみがその切っ掛けを為すことが多いのです。
 コンクールの敗北原因、そして、敬愛する得津先生の言葉「努力は報われる」への疑問など、それを究明しようとするエネルギーの弁(バルブ)がまさに開かれようとしたのです。

 

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/