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今週の喝 第751号(2019.9.9~9.15)この世は全て催眠だ(492)〜人生を真っ直ぐに歩む秘訣は…?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(492
人生を真っ直ぐに歩む秘訣は…?

 「禍福(かふく)はあざなえる縄のごとし」
「禍(わざわい)や幸福は、手でなった縄のようにかわりばんこにやってくる」という意味で、類似語には、「人間(じんかん)万事塞翁が馬」があります。
 私の67年間の人生を初秋の今、心落ち着けて振り返ると、まさに古人たちの感性が「誠に言い得て妙!」と、しみじみ身に染みます。私の青春時代は、多くの人の出逢いにより様々な影響を受けながらも、歪まずにほぼ真っ直ぐ進んできたように思います。その直進性の根本は、一つの目標に向かって多くの仲間たちと苦楽を共にしたからだと思います。

 今、多くの会社では、人材のこと(人間関係)で某かのトラブルを抱えています。そこには、このトラブルの原因が何から発生しているのかという究明に問題があるからだと私は思います。
 その問題が起きる根本原因は、人間そのものの持つ性質から始まります。つまり、“凡人六原則”の中の、「私は正しい」という感性から起きるのです。そして、社会の中で地位や権力を得ると、その「正しい」と思う感覚がより強化され、その正しさ?をしっかりと検証することもなく、「自分は正しく、悪いのは外界(他人)!」と結論づけてしまいますので、そこに反省や是正の余地は生まれません。
 そして、いつも「上司の失敗は部下の責任、部下の手柄は上司のもの」と自分の功績にしようとします。(しかも、無意識に……!)これも、心の底にある“名誉欲”が「私は正しくなければならない」と、無意識に言葉や態度に出てしまい、人間関係に亀裂を生じさせるのです。
 「一丸となって、前進する…!」もちろん一番大切なことですが、そのために命令や禁止令で部下に接しても、人間は言うことを聞いてくれません。そんなことに気付くのにも多くの“失敗”が必要なのです。人生は「前進し、失敗し、修正する」ことによって、自分の行動規範や物事の考え方、感じ方が形作られてゆきます。これが「あざなえる縄」しかし、「自分が正しい」という観念をベースに人生を歩むと、「修正する」ことができないのです。

 

★★摂理と信念の上に率先垂範!★★

 私が「ほぼ真っ直ぐに」人生を歩めたと自負できるのは、この失敗の後の「修正」がスムーズだったからです。周囲から見ると、我が吹奏楽部を日本一にグイグイと引っ張っていった得津武史先生は、一見、独裁者のように映ります。ヒトラーが代表的ですが、多くの人間は独裁者がなぜ独裁者たるかということを研究することもなく、唯々恐れています。そして、何かの事情で自分が独裁者と同等の地位や権力が手に入ったときに、“強権発動”で行動するので、独裁者になれずに“失脚の憂き目”に合います。
 単純にいうと、独裁者はその存在や行動に魅力があるのです。ですから、その人物から命令や禁止令を受けても、民衆は“強権発動”ではなく“指導”と受け取り、その指示通りやることで上手く物事が運ぶという体感(勝利感覚)を経験するのです。そして、その判断や決断の正しさの上に、尊敬や憧憬の念が生まれ、大勢が彼のいう通りに行動するようになります。
 世の事象に適した正しい判断能力を持つには、道理(法則)を知らなければなりません。しかも耳学問や机上(きじよう)の論理では、人は付いて来ません。
 そこには、リーダーシップが必要です。このリーダーシップ一つとっても、何がリーダーシップなのかを研究し、実践した人は少ないのです。これも、回答は至極明瞭……自分から進んで行動をし、その行動に指針を持っていること、つまり、摂理と信念の上に率先垂範することで成されます。
 ですから、周囲から見ると、一見粗暴に見え、その下にいると苦痛の根源のように感じる「独裁者」は、実際は神々しいオーラを放ち、彼と同じように行動することで我々民衆に勇気と希望を与え、同じ目標と目的をもって前進していることの誇らしさをもたらす、そんな人物も多くいます。
 こんな感覚を、私は得津先生から教わり、そしてそれを感じ取りました。それは、門外漢から見るような命令や禁止令ではなく、自主的にそれに従い、その達成感と充実感で自分自身が満足することによって成された所業です。
 多くの同僚や先輩後輩と苦楽を共にすることは、何も同じ行動をするだけではなく、同じ目標に向かって心の周波数(気)を合わせ、それぞれの役割を果たすことで偉業がなされるのです。私たち音楽に携わる人間は、そこに奏でる音という実態があるので、決してごまかすことができません。これこそ実力がものをいう世界です。それは、単なる成果主義とは一線を画した心の交流が成されてこそ、その奏でる音が生かされてくるのです。そして、その根底には「いい音楽を演奏したい」という共通の意思が存在するのです。

 

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/