M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第736号(2019.5.27~6.2)この世は全て催眠だ(477)〜やる気と勇気、そして自信がお腹の底から湧いてきた!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(477
五欲間の葛藤が性質を育む

 「寝・食・性・金・名」……人間の持つ基本五欲です。ここから派生する自分の感覚・感性の勝ったものを基軸に、これらの五つの欲望が互いに争いながら、人間は自分の性質を育んでゆきます。(例えば音に敏感な者は音楽に傾注し、味に敏感な者は料理に嗜好が向く)それら感覚・感性は、生まれた育った環境や父母を初めとする社会環境によって多大な影響を受け、人それぞれの個性(性質)を育んでゆきます。
 入試で喩えると、良い大学に入りたいという欲求が、思春期である高校時代に、潜在意識が身体を育てようとするエネルギーからくる睡魔(寝)や恋(性)に勝った時に合格をGetできますが、それらの欲望に負けると失敗の憂き目に遭います
 しかし、良い大学に入りたいという欲求も、それが自ら欲するものがあってその学校を目指す……つまり、自分から某かを研究し研鑽を積む、また技術習得したいと、その大学をターゲットにした人間は、正に正攻法!……あまり他の欲求に心乱されることはありません。音大や美大を初め、体育大学や技術系の学校を目指す者は、こんな意志の下、自分の心の底から湧き上がる情熱で目標設定をし、一心不乱にそれを目指す人が多くいます。そしてその心は、自分を磨けば磨くほど“自分”を大切に思い、やがてそれが己の“克己心名誉心”を奮い立たせるのです。
 これに対して、別の目的で名門大学を目指す者は、
合格すれば親が喜ぶ」「将来の入社試験に有利」「有名大学は、他者が一目置き箔が付く」etc.
ちょっと、それ違うんじゃないかなぁと思うような目的でも、「勝てば官軍」……世間は、それなりの評価をします。世間が一度評価すると、それが人生の内申書のようにチェック無しに通用するから、「たった一度」を目標に頑張ります。そして、その門をくぐってしまえば、後は全てを忘却の彼方へと捨て去ってもその評価はつづきます。しかし、そこで学んだ知識を世に役立てることが出来るかどうかは分かりません。
 先ほども言いましたが、入試を控えて思春期の特徴である異性に恋心を抱いた者は、たいがい失敗します。これは名誉心が性欲に負けた結果と言っても過言ではありません。 

 

★★音楽の才能はあっても“思考音痴”!★★

 若い頃の欲望は、五欲が互いにせめぎ合うことで起こり、それが融合離散しながらその人間の人格形成をしてゆきます。才能も「良い(エエ)格好」するためにそれを用いたなら、周囲は雰囲気の悪さに嫌な思いをしながらも、才能あるが故に押さえ込むことが出来ず、沈黙を守ります。その結果、本人は周囲から嫌われていることに気付かず、その才能が必要とされていることを自分を必要とされていると思い込みます。またそれに輪を掛けるように、自分達の楽得のために周囲はそれを用立てる方を選択します。このように、才能も用い方によってその人間の人格に大きく影響するのです。
 古来より「能ある鷹は爪を隠す」の喩えのように、謙虚であれば、周囲の人間はそれを賞賛し「格好良い」と評価します。人間の評価は、ただ才能だけで成されるのではなく、そこに人格というものが加わり、才能と人格のバランスによって、それがその人間のオーラ(雰囲気)となって醸し出され、それが総合評価となって社会や世間に影響してゆくのです。

 高校一年生の頃の私は、その生まれ育った環境から、周囲のあらゆるものが緩(ぬる)く、自分の置かれた場所を呪うような感性に陥ることも屡々でした。
 半生を振り返ると、無学文盲の祖母芳枝の存在で、幼少期の大火傷重度の腎臓疾患を乗り越えました。そして、父の会社後継ぎ要求に端を発した厳しい躾教育から逃げ場を求めている時に、自分の潜在意識に自信と勇気を与えてくれるのが“音楽”であると気付き、その感性を育んでくれた小学校の音楽教師・田中信雄先生との出逢いを機に、芸術に関する感受性をしっかりと育みます。そんな時、中学入学式の日の衝撃的な吹奏楽の響きに、「感動とは、生命エネルギーの根幹」であることを実感し、父との確執、「成績が落ちればブラバンを辞めさせる!」に抵抗するため、目的に違和を持ちながらも勉強に勤しみました。そして、中学三年生のコンクールでの強烈な“敗北感”がリベンジ心を生み、感受性豊かな思春期の私の人間形成要素として根柢に宿ったのです。まさに、愛と憎しみ、憧れと敵討ちといった相反する感性が私の将来への人格形成となりました。
 こんな歪(いびつ)な性質で、コーラス部に所属した初日、練習で指揮する女子部長のタクトの拙(まず)さに居ても立っても居られなくなり、思わず口を出してしまいました。「それでは、指揮にはなっていない!」と……。
 当時の私は、是々非々主義で、「良いものは良く、悪い者は悪い」と単純に考えており、指揮を否定された部長の気持ちなど全く考慮せず、自分の側の感性だけでの発言でした。これも、今中時代に演奏の上手な人間が素晴らしく、下手くそな人間は人間ではないという教育で徹底的に潜在意識に叩き込まれたからでしょう。この教育が、私の体験と相乗効果を成して、外界から見れば「生意気」な性質を形成したのです。
 そんな出来事のコーラス部初日、部長は、
 「じゃ、梅谷君棒を振ってみて!
と私にタクトを渡しました。「偉そうに言うなら、やって見せろ!」という意味を込めて彼女は言ったのだと思いますが、その頃の私は、自分の感性と才能に自惚れていましたので、「それじゃ、私に教えて……!」と、都合良く聞いていたのです。そして、その曲を指揮すると、(手前味噌ですが)ピッタリと決まったのです。その時、その他のメンバーから思わず拍手を貰ったことを鮮明に覚えています。きっと、私は得意満面であったと思います。部長のメンツを潰したことなど全く脳裏にありませんでした。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/