M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第734号(2019.5.13~5.19)この世は全て催眠だ(475)〜身口意の一致こそ、霊験取得の鍵〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(475
身口意の一致こそ、霊験取得の鍵

 仏教詩人の坂村真民先生が、「念ずれば花開く」という有名な言葉を残しています。生前、先生が暮らしていた松山の“タンポポ庵”にお伺いして、お話を聞かせてもらったことがあります。
 何気ない人生の話しをされても、その一言一言に魂が宿り、言葉というにはあまりにも神々しい響きを初めて感じました。話には聞いていましたが「これが言霊(ことだま)なのだ」と実感しました。それと同時に、ものすごく柔らかい気(和らぎ)に包まれた感覚を今でも鮮明に覚えています。これこそ、威厳・威光(オーラ)というものだと思った瞬間でした。それは、怖さも緊張も何もないにもかかわらず、自然と頭が下がり、話しに聞き入ってしまう何かがありました。
 今思い返すと、子供の頃、坂村先生の言葉など知らずに、あらゆる事に「」を入れていたことを思い出します。それも「念には念を……」が、当てはまるように、しぶとく自分の心(思い)に忠実でした。後に、斯波最誠和尚と出逢い、「菩薩心が芽ばえた者は、“身口意の一致”をもたらす」と教わり、まさに、事、音楽に関しては、どんな障害にも負けずに突き進んできたと自負しています。それは、音楽の持つエネルギー(バイブレーション=響きと感動)が私を揺り動かしてくれたお陰でした。坂村先生との出逢いは、私にそんな気付きを与えてくれました。
 「」を分解すると“今の心”となり、正に、音楽という瞬間芸術そのものです。毎時毎時を大切に生きることも、音楽の持つ芸術性に繋がります。きっと、坂村真民先生は、発する言葉一つ一つに魂を込められていたのでしょう。それが「今の心=念」なのです。それを意識すれば、不思議と“責任感と勇気”がお腹の底から湧き上がり常に他者の言葉にも傾注する能力が付いてくるから不思議です。このような感性は、モノを作り出す者にとって、素晴らしい集中力となり、慎重性と雄大さを兼ね備えた心を身につけることが出来るのです。その時、その人間の心には、ものぐさ性や苛つきはなくなり、じっくりと腰を据えた堂々とした心構えが出来上がります。
 これも身口意の一致がもたらす“霊験”であると思います。

 

★★努力や根性以外にも、完遂のパワーがある!?★★ 

 身口意の一致。つまり、行動と言葉、そして心が三位一体となった時、大いなるエネルギーを生み出すのですが、その原動力の根柢になるのは、感動する心と集中力(情熱)です。私は中学時代に得津武史先生との出逢いにより、この二つを刷り込まれました。それは、何事においても自分が思念する結果を出すためには、まず完遂能力を付けることから始めると理解しています。
 Never Never SURRENDER!……決して、決して降伏するな!
阪神タイガースに故星野仙一監督が就任した時、阪神電車の全ての車両にこの英語が書かれていました。まさに、過去から現在に至るまで、物事を成し遂げた人は皆、同じ感性で成就の道を歩んでいます。
 この身口意の一致こそ、感動と情熱を喚起し、多くの人々を影響力をもって牽引してゆくのです。私の中学時代は、このことを修得する時期であったのだと、坂村真民先生のお話を聞きながら思い起こしました。そして、そこから得られた回答が「念ずれば、花開く」という世の摂理なのです。

 さて、話を高校入学当初に戻します。クラスメートから、学級委員長に任命され、そして、一年四組が結束するために学級歌を作ることになり、私が作曲し、作詞は学級副委員長の小説家志望の新田純子さんに決まりました。
 ここで又、大きなカルチャーショックがやって来ます。作詞担当の新田純子さんは、どの教科の授業の時も黙々と自分が読みたい小説を読み耽っているのです。にも関わらず、成績はそこそこ上位で、尚且つ、学級歌の作詞もキッチリと期限までに仕上げてくるから驚きです。
 私は新田さんに、どうしてそんなにあらゆる事が同時に出来て、そのくせ、自分が将来なりたいと思う小説家への勉強を先人達の作品に集中することで習得できるのか尋ねたことがあります。すると、彼女曰く、
 「私にも分からないけど、心の奥の方にもう一人の誰かがいて、こんな言葉が良い、こんな表現が美しい等と語りかけてくるんよ。それで、この学級歌の詞も朝方、フッと湧いてきたのよ
この言葉で、今まで努力や根性で自分を生かすものと思っていた私は、その他にまだまだ自分を動かす世界やパワーがあることを知らされたのです。
 よく考えれば、私自身も「フルートが吹きたい!」と念じた結果、市吹から思い通りの笛を借り受けることが出来たり、親との確執にも耐えることが出来たのは、坂村先生の示された「」のパワーであり、新田純子さんの言う“もう一人の誰か”の仕業なのかも知れないと思ったのです。
 そして、私にも新田さんの詞を熟読している内に、(自分で言うのもおかしいのですが)素晴らしいメロディーが湧いてきて、学級歌は完成しました。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/