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今週の喝 第731号(2019.4.22~4.28)この世は全て催眠だ(472)〜古き良き「昭和」という時代〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(472
古き良き「昭和」という時代

 私たち今津中学校吹奏楽部のコンクールでの敗北は、その後も物議を醸し出し、2年後からは審査方法の大きな見直しが行われました。9名の審査員の点数の最上位と最下位を削除して、真ん中の7人の総合点合計にしたり、また、1970年(昭和45年)には、
 「音楽をスポーツのように、1点2点の僅差で採点して良いものか
という意見が出たため、金賞銀賞銅賞とランク分けし、全日本大会に出場した学校や団体は、全て賞を貰えるようになりました。しかし、現在では地方大会で金賞を受賞しても全国大会に出場できない団体が出てくることもあり、その制度に対して色々な意見が錯綜し、狂乱の相を呈しています。
 私も吹奏楽から離れて久しいので、詳しくは知らなかったのですが、地方大会でとても良い演奏だと審査員が判断し、4団体が金賞に輝いたとします。しかし、全国大会には3団体しか行けないという規定の中で、賞は金でも全国大会に出場できない団体が生まれ、その賞を「ダメ金」と言う人も出る始末。そして、ネット上で今年の審査は癒着や裏金が動いているとか、審査員同士の上下関係で賞が決まったなどと(根も葉もない噂だと思いますが)炎上したり、少々純粋な音楽の域から逸脱している感があるようです。
 さて、話しを戻します……私たちが真剣に取り組んでいた頃は、やはりみんな純粋でした。吹奏楽に限らず、何事もそうだったと思います。日本の音楽のレベルを引き上げ、世界に肩を並べられるように指導した先生方も本当に大勢いました。ここでは、それら素晴らしい先生方の列挙は差し控えますが、みなさん音楽のみならず、人間的にすこぶる素晴らしかった
 もちろん、我が得津武史先生を筆頭に、素晴らしい面々が心血を注いで吹奏楽・音楽界の進歩に私利私欲を忘れて尽力されたのを見てきました。昭和とはこのような時代だったのです。

 

★★“何か”探しの旅に出発…!★★ 
 子供時代に痛烈な理不尽を体験し、それをいくら声高に訴えても届かない世界が厳然とあることを体験した私は、昔より言われている「勝てば官軍、負ければ賊軍!」の意味をはっきりと理解したように思いました。
 それは、“結果”という評価の大きさです。受験テストに〇や✕はあっても、△が存在しないように、いくら金賞を貰ってもそれがダメ金ではどうしようもないのです。このように書くと、これを読んでいる方の中には、
 「人はそんなに黒白だけで測る世界ばかりではない
と言う方もおられるでしょう。確かにみんな仲良く、良い気分で居られれば素晴らしいことです。しかし、ダメ金を貰った団体の人はそうは思わないでしょう。近年、学校や幼稚園に於いて、運動会などで競争をさせず、みんな手を繋いで揃ってゴールなどと、まやかしめいた平等視が蔓延しているようですが、実社会や感情(情動)の中では、やはり人は「勝とう!」とします。
 1908年のロンドンでのオリンピックに於いて、アメリカ選手団とイギリス選手団の諍いを静めるために、セントポール寺院大主教のタルボット神父
 「オリンピックは参加することに意義がある
と諫めたのは、自棄(やけ)になってオリンピックをボイコットしようとしたアメリカ選手に、理性的判断を促すためであって、決して負けても良いとは言っていません。(残念なことに、この言葉は近代オリンピックの父クーベルタン男爵が言ったように誤解されて、それが恰もオリンピックの精神のように言われているのが残念です)
 何事も正々堂々全力vs全力であって初めて周囲は感動します。もちろん、タルボット神父が「参加することに云々」は、サポーター達の想いであれば納得できますが、当事者はそのような精神では覇気すら感じられません。やはり、勝ちたいという思いはほとんどの人間の持つ情動のシステムだと私は思います。

 私たちは「負けた!」のです。だから、得津先生も私たち生徒も気合いが入りました。しかし、我々3年生には、残念ながら「もう一度」というチャンスはありません。私は、この悔しさは、自分の技量が敗北を招いたのではなく、“何か”が「足りなかった」のだという信念の下、その“何か”探しをする決意と共に、残りのコンサート……恒例のアマチュア・トップ・コンサートの最後の舞台を踏みました。この時も、もしかして「トップ」を逸したのだから、この晴れの舞台に上がれないのではということも杞憂に終わり、万雷の拍手で私の中学生活……吹奏楽、音楽との出逢いの幕が下りました。
 そして、高校受験で中学時代はシッカリと勉強したため、成績も上位で西宮市立西宮高校に入学することが出来ました。
 そして、卒業式……私たちが入学した時の選抜高校野球のマーチ「こんにちは赤ちゃん」で在校生や父兄に見送られて校門を涙いっぱいで後にし、私の中学時代は終わったのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/