潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?
この世は全て催眠だ(471)
負けは負け……!
私たちは、コンクールの明くる日(1966年“昭和41年”11月21日)に、昨日涙をのみ茫然自失となった宮城県民会館大ホールの同じステージで、全日本の優秀団体のコンサートがありました。コンクールで三位までの団体が勢揃いするものです。気を取り直し精一杯の演奏をし、万雷の拍手に迎えられるも、やはり負けは負け!この後に引き返すことの出来ない、取り戻すことの出来ない無常観を中学3年で味わったのです。
そしてその足で、我が校は優勝するものと疑いの余地もなく招待してくれた秋田吹奏楽連盟の皆さんのもとへ、バスを走らせました。ジェットの二郎運転の帝産バスは大雪の峠を秋田に向かい、シッカリと演奏したことを、ついこの間のように鮮明に思い出します。
超満員の会場で秋田の皆さんに我らの精一杯の演奏を披露し、アンコールは「君といつまでも」……テナーサックスのフーチャン(藤崎)ソロで、間奏ではドラムのボケサカ(阪本)の台詞(せりふ)「しあわせだなぁ、僕は君と居る時が一番幸せなんだ……」で会場を沸かせ、多くのファンに見送られながら母校に向かって初冬の日本海を一路、重苦しい空気と共に西宮に向かいました。
庄内、新潟、金沢、福井とバスは夜通しひた走り、やがて当時、出来たての琵琶湖大橋のほとりのドライブインで休憩していた時です。チューバのコロシヤ(千種)が、
「俺、今津に帰りたない。応援してくれたみんなにどう言うたらええんや~」
「こんな二位のトロフィーなんかいらん。琵琶湖に捨てよ!」
とホルンのホソメ(光岡)が喚き、泣き顔でそれはもうバスの中はパニックです。その時、
「すまん。全部、ワシの責任や!お前等が負けたんと違う、お前等は誰もミスをせんと、見事な演奏をした」
と、得津先生は私たち生徒に深々と頭を下げたのです。この時、先生と生徒達は完全に一体となり、優勝に勝るとも劣らない強い絆が出来たのを実感しました。
★★私の知らない世界がある……!?★★
後日、得津先生が私に語ったことが、今も頭の中に鮮明に残っています。
「山田一雄審査員の言うた“ジプシーの心が分かっていない……もっとデリケートな音楽的表現を”……という言葉が、あれ以降ワシの頭をグルグル回りよる。あの時のバス中で飲んだ酒はホンマに嫌な酔い方やった」
そして、隣にいた美術のタンバ先生(伊勢昌史先生)に「ワシはもう引退じゃ!」と真剣に「教師を辞めること」を考えて毒づき、その後、大イビキをかいて寝てしまったと述懐していました。
ここから今津中学までは、バスで一時間半です。酒の勢いも手伝ってか、また、生徒達の心中を察してか、先生は、
「みんな、バスから降りぃ!ワシについて来い」
と号令を掛け、琵琶湖大橋の最も高い中央部まで朝つゆの中を歩いて行きました。その時、1st Trumpetのブラジル(山本重耳(じゅうじ))が歩きながら口笛でスーザ-作曲「星条旗よ永遠なれ」を吹き始め、それぞれがそれに合わせて、めいめいのパートを演奏し、私はピッコロのパートを思いっきり吹きました。そして、橋の頂点まで来た時、(もう時効になったと勝手に解釈して言いますが)得津先生は、
「横一列に整列。ズボンチャックを開けて捧げェ-筒!打ち方始め-ぇ」
と号令を掛け、吹奏楽部員全員が琵琶湖めがけて一斉放水し、爽やかな気分で母校今津中学の門をくぐりました。(琵琶湖は近畿圏ほとんどの飲み水の供給池です。悪しからず!)先生は、その心中
「よ~し、また一から出直しや!」
と叫んでいたのが、私たちにも伝わってきました。
そして、午前10時中学校にバスが到着すると、大勢の仲間が横断幕を掲げて私たちを出迎えてくれたのです。
彼等にもコンクールの釈然としない審査結果の内容は既に伝わっており、クラスメートや他のクラブのメンバーも、
「よう、やったなぁ!」
と笑顔で迎えてくれました。この時も、私の心には、山田一雄先生の
「ジプシーの心が分かっていない」
という、当時の私には到底不可解で謎めいた言葉の真意を何が何でも分かりたい。私たちが教わってきた音楽以外に、まだ、音楽の決め手のようなものがある……それは何か?絶対に探ってみせるという闘志がホツホツと心の底に湧いてきたのが、今も実感として残っています。
それまで、音楽はリズム・メロディー・ハーモニー(音楽の三要素)を正確に奏でれば、それでコンクールは優勝(完成)と教えられてきましたが、それ以外に何かがあるのです。もしかしたら、それが音楽の“真髄”かも知れないと、私の情熱はメラメラと燃え上がるのでした。
この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/