潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?
この世は全て催眠だ(467)
もうすぐ、地獄の日々から解放される!
私が中学三年生、1966(昭和41)年11月20日の第14回全日本吹奏楽コンクール仙台大会の朝、寝覚めは最高に調子よかったことが明快に記憶として残っています。
そして、宿泊地・仙台の秋保温泉の宿を7時半に出発して、コンクール開催ホールである宮城県民会館までの1時間少しの間、私はバスの席でそれまでの吹奏楽部での生活が走馬燈のように頭を巡りました。
後、数時間でこれら総てが“おもいで”となってしまうのが何故か悲しく感じられました。その一番は、何と言っても得津武史先生の我々悪ガキ部員に対する、愛情溢れる?“体罰”が次から次へと思い出され、一人ニヤニヤとしていたようです。今、齢67になっても鮮明に残っています。この紙面でも「天ぷら棒」については、縷々(るる)綴ってきましたが、もしアレがなかったら、きっと今のような根性や性質、考え方は出来ていなかったように思います。
この体罰を、外から見ている人達は「スパルタ教育」などと評していましたが、中学3年くらいになると、
「ああ、またブタがわめいとるぞ!」
くらいにしか感じませんでした。
街の天ぷら屋さんが使っていた菜箸(長さ50㎝ほど)で、初めて思いっきり頭の天頂を叩かれたときは、眼から火花が飛び出したのを覚えていますが、この頃になると、“良い眠気覚まし”くらいの感覚になるから、慣れとは本当に不思議です。
現在なら、父兄をはじめ周囲から暴力教師だの何だのとイチャモンを付けられそうですが、当時は
「先生、ほんまにウチのガキは言うことききまへんねん。根性入れ直すためにも、死なん程度にしばいて下さい」
と、注文が入るのです。そんな時、先生は、
「オイ、チン(あだ名)、お前のオトン(父)から、根性入れてくれと注文があったよってに、覚悟さらせ……!」
★★思い出はニンニクの味と共に……★★
こんな恫喝にも、みんな平気な顔でいることが出来たのは、得津先生自身が明快な思想の持ち主だったからです。先ず、アサターで午前7時半から合奏すると言えば、必ず先生は7時には学校に行って模範を示していました。ですから、私たちは先生の行動や思考行為に文句を言うことが出来ませんでした。先生ほど白黒の明快な人も少ないのではないかと、今も思います。卒業後、その事を先生に尋ねたことがあります。その回答は、
「言葉みたいなもんで子供らを動かそうと思(おも)ても付いてけぇへん。良(え)えか悪いかはっきり見極めてものは言わんとアカン。中途半端な表現や態度では動かへん。アカンもんはアカン……それを分からせる為には、痛さや恥ずかしさがなかったら心まで染み込まへん。そして、良(え)えもんはそれなりに、キチンと評価することや」
この言葉は、現在の優秀な経営者の行動規範と完全に同じです。それは“率先垂範・信賞必罰・言動一致”です。
私たちの頭上に天ぷら棒の嵐が吹き荒れても、それには、シッカリとした裏打ちがされていたからこそ、我々子供もその脈絡を納得し、素直な心で受け入れました。また、それと同時に、反駁心やリベンジ心といった「恨み節」は、微塵も湧いてきませんでした。
私が2年生の夏休み前のことです。先生がその年の出来があまり良くないのを気に掛けて、生徒を猛烈にシゴいたため、みんなバテ気味になり、今で言う熱中症的な生徒が出て練習に支障をきたすようになりました。すこぶる単純思考の先生は、
「こらアカン!こいつらにも滋養と強壮が必要や」
と、先生の大好物であったニンニクを生のまま丸かじりさせたのです。すると、それから欠席者も保健室通いする者もいなくなりました。素晴らしいニンニクの効力です。時を同じくして、フェミニストの女性教師が、
「いくら、コンクール必勝とは言え、棒で頭を叩くのは少々やり過ぎでは……!」
と教育委員会に讒言(ざんげん)したため、ちょっとした問題になりかけていた矢先のことでしたので、得津先生は、
「おまえら、良(え)えとこのお坊ちゃんやさかい、天ぷら棒がアカン言う女狐が出てきよった。今日から天ぷら棒は指揮専用や!」
と、まさかのお達し……!私たちは、この御触(おふれ)に鳩が豆鉄砲を喰らったように驚きました。そして、次の瞬間、
「ええ先公が現れてくれた・・」
と、歓びも束の間。いままでの天ぷら棒の代わりに、滋養強壮のニンニクを生のまま口に入れられたのです。題して“ニンニクの刑”!
現在、日本一のドラマーの異名をもつ“村上ポンタ秀一”さんは、当時ティンパニーを担当しており、一日の練習で24個ものニンニクを食べさせられ、その記録は未だ破られておりません。もちろん、演奏がまずかった所為ではなく、先生の話をまともに聴いていないことによるものでした。ポンタのお母さんから次の日に、
「ニンニクは天ぷら棒よりスタミナが付いてよろしいなぁ~」
と言われたときには、冷や汗が出たと述懐していました。
そして、ラッパの先からニンニクの臭いと音が同時に発射されるので、練習場である体育館はニンニク臭でパンクしそうになり、体育女教師から、
「体育館がモウレツな臭いで、バスケの練習が出来ひん!」
こんなことをニヤニヤと思いだしている内に、私たちを乗せたバス、ジェットの二郎号はコンクール会場に到着していました。
この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/