M&Uスクール

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今週の喝 第723号(2019.2.25~3.3)この世は全て催眠だ(464)〜「完璧」を目指した中学時代!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(464
「完璧」を目指した中学時代!

 私たちが主戦力(3年生)となって、頑張っていたとき、前年の猛烈な練習とはうって変わって練習がスムーズに捗りました。これも、同学年同志の横の繋がり(コミュニケーション)が本当に密で、先生に指摘される前に自分達で修正し、それを下の学年にシッカリと指導するという、それは素晴らしい連係プレーでした。
 そして、以前にもお話しした(旧)大阪市音楽団団長の辻井市太郎先生はじめ、関西の名だたる指揮の先生に指導して貰ったときも、「今年のメンバーはよく頑張ってるね」というお褒めの言葉と、「この分やと、楽勝やなぁ!」という楽観気分で県大会、関西大会と勝ち進み、いよいよ、あと1ヶ月で全日本吹奏楽コンクール仙台大会が開かれる時節になりました。
 今では、吹奏楽コンクールというと東京の杉並区にある五千人を収容できる立正佼成会普門館が“吹奏楽の甲子園”と言われていますが、当時は全国持ち回りで開催されておりました。(この杉並の普門館も耐震構造不足ということで取り壊しになるそうです)
 私の中学時代は、高松、長崎、仙台で全国大会が行われ、私たちは追われる側であるにも関わらず、「打倒!豊島十中」の横断幕の前で気を抜くことなく連日連夜練習に励んでおりました。
 今でも、この当時のことで私の自慢は、フルートだけのパートを先生がチェックする時、課題曲と自由曲を合わせて12分以内で終わらなければならないというコンクールの規約があり、本来ならその中で拙(まず)い箇所を指摘され、それが出来るようになるまで扱かれ、それでも納得が行かないときは、次のチェックまでに練習するように言われるのですが、フルートだけのパートチェックは、10分ほどで終わったことです。つまり、一度通して演奏しただけで、OKのサインを貰ったのです。
 これが、木管楽器(フルート、クラリネット、サキソフォーン)全員でのパートチェックになると、2時間ほどになるのです。それでも、前年と比べれば約半分の時間で済みました。

 

★★我々は皆「あだ名」で呼ばれた!★★ 

 そしてこの2日後、全日本吹奏楽コンクールに出場する前の恒例である大阪フィルハーモニー交響楽団(当時)常任指揮者・朝比奈隆先生による最終チェックとも言えるレッスンが行われました。その当時のことは、今も夢に出てくるくらい気合いの入ったもので、部員全員が一つの楽器のように一糸乱れぬ演奏をしたことを覚えています。
 この年の自由曲はフランツ・リスト作曲「ハンガリー狂詩曲第3番」で、フルートとクラリネットに非常に難しいソロが出てくる、今聴いても緊張が全身に走る難しい曲でした。
 曲の出だしは低音の力強い五度の和音で始まります。それを受け持つのは、ユーフォニームの「チン」とチューバの「殺し屋」、そしてバリトンサックスの「さる」がリードします。ここに「チン」「殺し屋」「さる」etc.と書いたのは、得津先生が付けたあだ名です。先生は1年に入部した生徒をその顔つきや体つき、又第一印象や名前から“あだ名”を付け、卒業するまで本名を呼ばれることはほとんどありませんでした。ちなみに、私より一年先輩で現在、日本一のドラマーの名を恣(ほしいまま)にしている、村上ポンタ秀一さんも、先生はそのまん丸い顔と体つきから“狸”を連想し、単純に「ポンタ」と命名したのです。そして、彼自身それを今も誇りに思い、自分の芸名にしています。動物に由来するあだ名は、トロンボーンに「カバ」「キリン」がいました。また、性質に由来するのは、アルトサックスの「ワンタン」……彼は一日一食必ずエースコックの「ワンタン麺」を食べたことからこの名になりました。
 ちなみに、私は梅谷忠洋ですから梅忠(ウメチュー)で、当時は本当に真面目そのものだったのでしょうか、あまり感激のないあだ名でした。先生のあだ名の付け方こそ単純そのもの、いや、先生の思考全てが単純明快であったのです。名前から来るあだ名は、「シンゲン」「ケンシン」……想像出来るように名字が武田であれば「シンゲン」、上杉なら「ケンシン」です。面白いのに「ナマエマケ」という者もいました。彼の名は「井上馨(かおる)」で、明治期の伊藤内閣の内務大臣まで務めた人と同姓同名です。しかし、少々要領が悪いところがあったので「ナマエマケ」というあだ名になりました。これからは、あだ名で書いてゆきます。
 話しが完全に横道に逸れました。戻します!
低音五度の力強いイントロに続き、マーチ風の第一テーマ、そして、それが幾度か繰り返され、リストの作風さながらの繊細な動きと共に私の奏でるフルートソロのアルペジオ(分散和音)で一旦曲を閉じ、その余韻がさめやらないまま、ハンガリー音楽特有のラッサン(ゆったりとしたジプシーの嘆きの歌)を「ホソメ」率いるホルンのユニゾン(斉奏)で優しく歌いあげ、バックではハンガリアンギターが華やかに伴奏します。しかし、我々吹奏楽にはコントラバス以外弦楽器は使えませんので、ここは、木村吉宏先生独特の編曲で、マリンバ(木琴)とビブラホーン(ビブラートのかかる鉄琴)です。そして、同じメロディーがフォルテでむせび泣き、最後の部分で、「ウメチュー」のフルートの変奏的ソロに続き、クラリネットの名人「キヨモリ」のカデンツァ(独奏で次に続ける)で、足も軽やかなフリスカ(ダンス)に入ってゆきます。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/