M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第722号(2019.2.18~2.24)この世は全て催眠だ(463)〜「アサター・ヒルター・ナイター」で自信に繋げよ!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(463
「アサター・ヒルター・ナイター」で自信に繋げよ!

 私たちの学年は、本当に先生の言うことを良く聴き、自分達でも自主的に練習し、各パート同士もコミュニケーションがバッチリ取れて、レギュラーメンバー内の2年生と3年生の関係も、感情的イジメはなく、とてもスムーズに練習も捗りました。
 以前にも書きましたが、我々が2年生の時は、得津先生自身、「今年の優勝は無理なのでは……」と思うくらいメンバーも不均衡でした。そんな時は色々と兆候が表れるものです。ですから、得津先生が毎日イライラしているのが手に取るように分かりました。それは先ず、練習時間に表れます。本格的にコンクール練習に入ったときには、朝は7時の音出しから始まり(アサター)、昼休み給食後から午後の授業までの時間はもちろん、放課後は、午後4時から6時まで(ヒルター)、そして、軽くあんパンなどをかじって夜10時まで、みっちりと全員合奏や各パートチェック、チューニング(音合わせ)、また楽器毎にプロの先生を呼んで扱(しご)かれます(ナイター)。
 私たちの学校は甲子園球場の近くにあった為(いや、「甲子園球場が私たち中学校の近くにあった」と言わなければ天ぷら棒が飛んできました)、野球用語になぞらえて、朝練をアサター、昼練をヒルター、そして夜の練習をナイターと呼んで、1に練習、2に練習、3,4がなくて5に練習をモットーに日夜、楽器にしがみついておりました。
 この効果は、先生も生徒も「他校より、頑張っている」ということで不安の払拭があり、それが「これだけやっているのだから……」という自信に繋がりました。しかし、その分、先生のコンクールに対する焦りにも似た状況がヒシヒシと伝わってきて、それがその年の3年に対する八つ当たりにも似た言葉や行動となって表れました。その最たるものが天ぷら棒の数が格段に多かったのと、練習時間の長さに表れていました。
 
★★人間は「学ぶ」いきもの!★★ 

 中学生の練習に朝7時から音出し(登校は2年生は午前6時、3年生は6時半過ぎ)、そして、夜は10時までですから、下校は10時半近くになります。それから、帰宅後晩ご飯を食べてくたびれ果てて就寝の毎日ですから、生徒達にも必然的に先生のイライラが移ってきます。そんな中で、私も二人の3年生にダブルバインドに入れられ、イジメられたのでしょう。
 この年(私が2年生)は、今思い返してもクラブ中が殺気立っていました。先輩の制裁も私だけではなかったのです。我々の学年のみんなが当時のことを思い出して言うのは、演奏や技術的な稚劣性でやられるならまだしも、先生にやられたから後輩にやり返すという感情的逆理報復には、参ったなあということです。逃げ場をなくして相手をイジメるのですから、これはもう憂さ晴らし以外の何者でもありません。「みんな」やられたのです。しかし、この「みんな」が自分だけ脱落するわけにはゆかないという妙な忍耐力を育んだのも事実です。そして、練習時間が長いというのも、上級生は合奏中はイジメることが出来ませんから、下級生にとっては“極楽の時間”ともいえる安寧をもたらしました。
 私が言いたいことは、このような理不尽が生じても、それはマイナス面だけではなく、必ずプラス面が存在し、それを見いだした者が忍耐力を身につけることです。戦前の日本は、物資の少ない貧乏国故に、“苦”に耐えることで精神を磨き、当時は侮蔑の対象であった東洋人(黄色人種)を欧米人(白人)達にその能力の高さを認めさせたのです。
 私たちも、逼迫感から「気合い」は入っておりましたので、当初は「ブラバンを辞めようか」などと思ったこともありましたが、この困難や苦を乗り越えた後の勝利感を夢見ると、不思議と勇気がお腹の底から湧いてきて、「負けるモンか!」と、根性が育つ実感がありました。
 今思い返すと、あの地獄の中学2年がなければ、今のようにアクティブで前向き思考の自分は出来ていなかっただろうと述懐します。後に、我が生涯の師と仰ぐ宇宿允人先生について行くことが出来たのも、また、28歳から34歳までの7年間、ほとんど仕事がなく、夢も希望も失ってしまった時期を乗り越えられたのも、その時の心情を思い起こすことで頑張れたと思います。
 そんな中学2年時代が終わり、私たちの学年の時代になったとき、理不尽といえるイジメを克服したこともあり、多くの同級生は、後輩を感情的にはイジメませんでした。私が3年生になったときには、フルートの後輩は二人でしたが、ほとんど彼等を感情的に追いやったことはありません。そして、コンクールの練習に入ったときも、前年の過酷な練習から我々の学年は学び、先生に言われる前にその要求が何であるかを推測し、先生が言う前にほとんどの事柄を整えていましたので、それが如実に練習時間に表れました。
 朝は全員が7時半から音出し。そしてナイターも早い時は8時で終了し、遅いときでも9時には解放されておりました。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/