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今週の喝 第714号(2018.12.24~12.30)この世は全て催眠だ(455)〜心の集中は、頭を空っぽにすることから……!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(455
心の集中は、頭を空っぽにすることから……!

 仏教で最も有名なお経と言えば、「般若心経」でしょう。この中には、我々人間の中に住まう「正しき道を求める心」を目覚めさせるエネルギー“空(くう)”の存在に気付くプロセスが明記されています。我々人間の中に住まう善なる心である“観自在菩薩”が、静かにリラックスした中で瞑想した時に、ハッと凄いエネルギー(仮に“空”と名付けた)の存在に気付くところからお経は始まります。そして、自分の中に住まう善なる心の観自在菩薩(観音さま)が私たち(衆生)の代表として、釈迦十大弟子の一人「舎(しや)利(り)子(し)」(シャーリープトラ)に語りかける形をとっています。
 実際にお経を読めば分かりますが、観自在菩薩も舎利子も我々の心の中の様相を示しているのです。つまり、私の中には、善なる心と楽得を基準にした衆生の心の二心が存在し、善なる心が衆生の心を諭すように、我々人間の実相を我々に語りかけて来るのです。
 そして、偉大なるエネルギー“空”は、我々の意識を「」(空っぽ)の状態にしたときにその実態を感じることができると言うのです。この辺りになると、頭がこんがらがってきて訳が分からなくなってきます。しかし、私のように楽器を手にした人間は、奥義とまでは行かないまでも、「上手に吹こう」とか「人を感動させよう」などといった雑念を捨て、頭を空っぽ(無欲)にして、ただ日頃から自分が心に描いた素晴らしい理想の演奏を想像すれば、自然にその方向に全身全霊が向かうことが分かります。
 「おいおい、頭を空っぽにして理想を想像するとは、些か矛盾してるぞ」 
と、思われる方もおられるでしょうが、人は夢・憧れを心に抱くと、やがてそれが無意識化され、潜在意識にインプットされます。古来より、好きな異性ができると「寝ては夢、起きてはうつつ幻の」と言う状態は、自分の意思に関係なく作用する「心の集中」を示しています。

 

★★身体で覚えるとは……!★★
 このように、無意識の領域(潜在意識)に叩き込む為には、毎日毎日の訓練(反復練習)が最も功を奏します。「門前の小僧習わぬ経(きよう)を読む」と言うことわざも、習うのではなく自然と耳がお経を覚えてしまうことを指しているのです。そのように考えれば、現在の教育は「覚える」ことを主眼に置いているため、テストが終われば「忘れる」事になるのです。
 昔の徒(と)弟(てい)制度では、「手に職を付ける」とか「身体で覚えろ」などと言ったのは、「考える」ための頭脳を用いずに、筋肉や感覚に記憶させることを主眼に置きました。自転車を例にとると、肉体的衰えは別にして、一旦自転車に乗れた人間は、「乗り方を忘れた」というようなことは絶対に起こりません。これが、一番身近な“空”の体感でしょう。
 音楽で言えば、耳から入った音楽を心がその「美しさ」を察知した時、それを体現したいと思うことで上達してゆくのです。それこそ、楽器は吹き方(How to do.)ではなく、心の指向性、在り方(How to be.)でその感性が決まります。
 般若心経の一節には「空の中は(是故空中)、……無“眼耳鼻舌身意”(六根=感覚器官)、無“色声香味蝕法”(六境)」と、全てが無(無意識)の状態まで反復して刷り込んだ時に感じることができる悟りの覚知(六識)が示されています。これは、眼を鍛えるには、色感覚を分からせることが必要であることを示しているのです。
 私の心当たりでは、それまで自分の先輩達のフルートの音色しか聞いたことがなかった時には、「つまらない楽器」という観念を持っていたのに、ランパル先生のフルートの音色を聞いた時、私の音楽感性は烈しく揺さぶられ、あのような華麗な音色を出したいという強い願望と共に、練習へのモチベーションが喚起されたのが最も顕著な事例であると思います。まさに、六根(耳)が六境(音)を覚知して(六識)欲求が生じ、その理想の音色や音楽、技量を自分のものにしたいという能動的エネルギーを誘発したのです。
 こんな風に書くと、とても難しいことのように感じますが、子供の頃は、楽器に限らず、自転車に乗っているお兄ちゃん達をうらやましく思い、そこに挑戦意欲が湧き上がり、顛倒した時のキズの痛さや恐怖心を乗り越えて自転車に乗れるようになったのです。
 般若心経には人間の成長や技術の習得のメソッドが書かれているのですが、如何せん全てが漢字ですので、大抵の人は尻込みしてしまいますね。私は、6年生の6月に私を可愛がってくれた祖母・芳枝が亡くなりました。その時、愛する祖母の死から大きな恐怖と心の虚しさを感じ、それを我が檀那寺、西宮・海清寺の春見文勝老大師に素直に言ったところ、
 「毎日、少しずつ覚えてゆけば、意味は分からずとも大好きなおばあちゃんがとても喜ぶよ
と言われ、覚える意欲が湧き、一所懸命に暗唱しました。ただひたすら子供心の恐怖心から、お婆ちゃんへの冥福を祈ると同時に、心を「空っぽ」にできたことが、それ以後の私の人生に大きな収穫をもたらすのです。 

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/