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今週の喝 第705号(2018.10.22~10.28)この世は全て催眠だ(446)〜いざ、長崎に向けてGO!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(446
いざ、長崎に向けてGO!

 昭和40年11月、長崎県民会館で行われる全日本吹奏楽コンクールに向けて、母校今津中学校で壮行会が行われました。町の名士、父兄会、そして多くの教師が集まって盛大に行われたその後、楽器をバスの左右の荷物棚にネットを張り、そこに小さな楽器を詰め込み、チューバやティンパニーなど大きな楽器は、我が父の運転する(株)梅谷畳店の畳運搬トラックに積み込み、一路長崎へ向かって出発です。
 私たち吹奏楽部がコンクールや演奏旅行に行く時は、決まって帝産バスをチャーターします。そして、いつも上田二郎さんという運転手を指名し、バスガイド(女性)はお引き取りねがい、その代わりに交代要員の運転手さんがもう一人乗り込み、昼夜兼行で走り抜きます。当時の吹奏楽部は女人禁制の男子クラブでしたので、バスの中は引率の先生(事務の松本先生、美術の伊勢先生)が乗り込み、全員男性です。
 上田二郎さんは、一昨年の演奏旅行の時のドライバーで、得津武史先生とバッチリ周波数が合ったのです。それ以来、スタッフ同然の働きをしてくれる(コキ使える)こともあり、定年退職するまで私たちの吹奏楽部の遠征時は彼の運転でした。
 当時はまだ高速道路がなかったので、国道2号線を西へまっしぐら深夜便です。今だから(時効で)言えるのですが、上田二郎さんは負けず嫌いで、ゆっくりと走るトラックの後ろについて行ったり、他の車に追い抜かれるのを許せない性格であった為、真夜中の国道2号線をトラック野郎の菅原文太演じる星桃次郎ばりにバンバン他の車を抜き、トラック型に切り抜いた紙のシールを一台抜く毎に運転席側のボディーに張ってゆく茶目っ気のある人でした。こんな所が、得津先生と気の合う所だったようです。私たちは、そんな上田ドライバーを「ジェットの二郎」とあだ名を付け、部員全員で先生のように慕ったのです。また、ジェットの二郎は、コンクールともなれば、「吹奏楽日本一!今津中学」と書いた垂れ幕を作ってきてバスに吊したり、細々とみんなの面倒を見てくれました。心意気は、完全に我が今津中学校吹奏楽部の一員でした。

 

★★吹奏楽の武士道!★★ 
 この年の全日本吹奏楽コンクールは、今津に追い着け追い超せとばかりに、強豪が数多く現れてきました。その中でも、東京都豊島区立第十中学校は、我々とはひと味違う音楽を奏でる(通称豊島サウンド)学校で、酒井正幸先生によってシッカリと統率され、演奏のみならず行儀作法から卒業後の進路に至るまで、きちんと教え込んでおられました。そして、「打倒!今津中学」を目標に日夜猛練習に励んでいたのです。
 大阪と東京……この位置関係は、阪神タイガース読売ジャイアンツに代表されるように、何に付けライバル関係にあります。また、村田英雄の歌「王将」で有名な、坂田三吉関根金次郎も歴史的ライバルです。いつも思うのですが、どの対立関係も東京は品良くジェントルマン的なのに対して、大阪は少々ガラが悪く、「勝てば官軍」的要素が見受けられます。
 全日本吹奏楽コンクール長崎大会も、結果として大阪vs東京の図式になり、全国の吹奏楽ファンの衆目を集めることとなりました。得津先生と酒井先生も坂田vs関根”のごとくでありました。得津先生は、スパルタ教育で好戦的、対して酒井先生は、厳しさの中にも生徒を包み込むような紳士でありました。(正反対の両先生は、決して敵対関係では無かったのが不思議です)この両校が長崎で対決するのです。
 この年の我々今中吹奏楽部は、これまでも色々と書いてきたように、三年生が高圧的で、まとまりの欠けたところが多く見られたので、得津先生は(後日談ですが)、「もしかして豊島に負けるかも知れへん!」とマジで思っていたようです。そして、その気持ちを払拭する為にも、部員を扱きに扱いて、毎日の練習が、朝7時から夜の10時という日も多くありました。ですから、我々今津中学校は全員がピリピリしていたのです。
 そんな事情もあって、長崎遠征一週間前の“三線裏”の出来事は、メンバーが一つになる良い機会となりました。そして、コンクール本番に臨んだ時、一糸乱れぬ素晴らしい演奏が奇跡と言って良いほど実現しました。豊島十中も見事な演奏でしたが、結果は審査員全員が我々今中に軍配を上げました。その時の歓びは、今振り返っても目頭が熱くなるほど感動的でした。
 「もしかして負けるかも」などと弱気になっていた分、感激は一入(ひとしお)でした。我々の優勝が決まり、長崎県民会館前で得津武史先生を胴上げして、バスに戻ってきたその時です。豊島十中の40人のメンバー全員が我々のバスに駆け寄ってきて、「おめでとうございます」と拍手をしてくれたのです。私たち今中の部員達には決して出来ない所業でした。それもボロボロと泣きながら……。
 これも後から知ったのですが、酒井正幸先生は長崎出身で、ふる里長崎には年老いた父がいて、父親の前で故郷に錦をかざることを念願に頑張って来られました。しかし、悲願の親孝行は、我が今中の健闘に阻まれ果たすことが出来ませんでした。こんな中、豊島の吹奏楽部員達は私たちに心よりエールを送ってくれたのです。
 酒井先生のモットーは、演奏時のスタイルもさることながら、日常茶飯事も常に規律正しくあれ!……まさに、吹奏楽の武士道ともいえる出来事でした。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/