M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第703号(2018.10.8~10.14)

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!この世は全て催眠だ444

 

  昨今のオーケストラ事情は……!
 

  オーケストラは、どれだけ個人の技量の良い人達を集めても、彼等一人一人に我意識が見受けられると、何かギクシャクした違和感があるものです。これは、一般の会社でも同じだと思います。後年、私はフィルハーモニアTOKYOの主席としてフルートを吹くことになりますが、そこでイヤと言うほどその矛盾を味わいました。音楽大学を主席クラスで卒業することは至難の業です。その人達は、頭脳明晰でいわゆる“達人・天才”の域の人が大勢います。しかし、日本人の芸術に対する認識は、当時それはもう三流国並のレベルでした。(現在は、あなたの感覚で判断して下さい)
 現在も、コンサートを開催しても客が入らないという状況が儘あり、給料は安く、四苦八苦の状態です。私たちは、「暮らしが苦しいから“暮らしッ苦(Classic)”だね」とギャグりながら、笑いで乗り越えようとしたものです。しかし、このような状況が長く続くと、音楽学校に合格した当初は夢と希望に燃えていた人も、だんだん心は荒(すさ)んできます。頭脳明晰で難関を突破したあかつきに、才能とギャランティー、そして世間の評価がそぐわないのですから、よほどの精神力がないと清廉でいることは難しいでしょう。
 このような境遇にある人間が百人集まったのが日本のオーケストラの実情(?)なのです。また、トップ奏者と第二奏者とではギャラが大きく(?)違う為、二番フルートは「いつかトップフルートがミスをして失脚すれば・・」等と考えるようになります。このようなところでアンサンブルをやるのですから、それは「心を合わせて」等と悠長なことを言って上手く行くことは「夢のまた夢」といっても良いでしょう。中には、腕が立つのに、それが正当に評価されない為、ゴロツキめいた態度をとる人間も現れる始末です。そんな彼等のことを、音楽仲間では「音楽ゴロー」といって、とても厄介な存在でした。これらゴローちゃん達は、高等ヤクザのように弁論で権利を主張するようになります。

 

★★“吹いてみなさい”の一言が人生を決めた★★
 
 このようなオーケストラは、私が現役の頃には何処にでもあるものでした。(今は知りませんが……)この頃は、マエストロ(指揮者)は、音楽の三大要素「リズム、メロディー、ハーモニー」をピッタリと合わせただけで評価を受けた時代もありました。日本の音楽黎明期は凡そこんな感じでした。そして、そんなオーケストラの人達がコーチとなって我々ブラスバンドの指導にやってくるのですから、吹奏楽コンクールもこの音楽三要素をもとに審査員は判定し、その他は演奏のミス捜しです。そこには情緒の欠片も感じられません。これではスポーツと変わりないと、私は中学二年ながら常に違和を感じていました。いや、スポーツには精魂を込めて戦う故に観客を感動や感激に導く要素が多々あります。しかし、吹奏楽コンクールも生徒は一所懸命ですが、下手をするとあら探しに終始してしまいがちです。あら探しから感激は生まれるはずもありません。また私自身、自分達以外の学校が素晴らしい演奏をすると、腹の立つことも体験しました。これも、教育の結果だと今は思います。
 このような状態の中で、一つの事件が起こります。大阪フィルハーモニー管弦楽団を創設し、後に最長寿指揮者として名を馳せた朝比奈隆先生が、全日本吹奏楽コンクールを間近に控えた10月初旬に、我が今津中学吹奏楽部をレッスンする為、恒例行事のように来て下さいました。朝比奈隆先生は、得津武史先生の大阪音楽学校(現:大阪音楽大学)の師匠ですので、朝比奈先生がお出でになった時の得津先生は、それはもう今まで一度も見たことのないような礼儀正しさと服装で、真摯に「ハイ!分かりました」と指導を受けていました。
 そして、フルートのパートで一部分ソロ(独奏)があり、その演奏法が朝比奈先生の音楽解釈と合致しなかったのでしょう。ダメ出しが暫く続きました。もちろん、その部分は三年生が吹くところです。練習はそこで躓(つまづ)き、一向に次に進みません。朝比奈先生ともなると、「次に練習しておくように……」などと、適当にあしらうことはされません。先生自身が納得できるようになるまで、搾り始めましたが一向にラチが明きません。次の瞬間、少しイラついた朝比奈先生と2ndパートを吹いていた私の目が合ったのです。そして、「君、そこの部分を演奏してみなさい」という不意な指示が出されました。私は、三年生が搾られている間、朝比奈先生が何を訴えたいのかとその心意気を探っていたのと、得津先生は、「コンクールでは、何が起こるか分からんから、二年はしっかりと三年のパートのフォローをする心構えで居れ!」という日頃からのお達しで、私は1stフルートのパートを諳(そら)んじておりました。
 その時、得津先生は二年に吹かせてその顛末に私が自信喪失したらと考えたのか、三年の名誉(?)を重んじたのか、「そいつは二年でんねん」。すると、その言葉に反応した朝比奈先生は、「音楽に三年も二年もない、吹いてみなさい」とより凄んで私に促します。その時の心地は今も鮮明に覚えています。前後のことなど全く考えず、その場に完全集中して、その部分を吹きました。大先生の前という意識も無く、唯々サンサーンスの書いた楽譜を音にしたのです。ここから先は手前味噌で書きにくいのですが、朝比奈先生は、「彼の方が良い。彼に吹かせなさい」と指示されました。
 この瞬間、私はそれまでイジメの暴力に耐えた甲斐を「音楽を続けていて良かった」と心から感じたのです。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/