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今週の喝 第702号(2018.10.1~10.7)この世は全て催眠だ(443)〜ヴァイオリンへの憧憬は極致に……!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(443
ヴァイオリンへの憧憬は極致に……!

 千葉県銚子市立第五中学校の管弦楽部との衝撃的な出逢いは、私を益々音楽へと誘ってゆきました。吹奏楽は野外では大活躍します。しかし、コンサートホールなど室内では、オーケストラのメンバーの半分以上を占める弦楽五部(ストリングス)の重厚な響きには叶いません。そして、将来は
 「必ずいつか、管弦楽団で演奏するぞ!」
と心に誓ったのを良く覚えています。そんなこんなが重なって、私の弦楽器への憧れはメラメラと燃えさかり、後年にヴァイオリンやチェロを弾く人(特に女性)は、私の目にみんな美しく映りました。そして後日、中学3年のコンクールも終了し、アマチュアトップコンサートを最後にレギュラーから外れた3学期の1月中頃、とても淋しいことに学校の備品であったためフルートを手放さなくてはならなくなりました。自分の楽器など親との確執もあって持てるはずもありません。
 そして3月、市立西宮高校に合格し、多くの方から貰った合格祝いを握って、西宮駅前商店街の中にあった新響楽器店に飛んで行き、日本で一番廉価の鈴木バイオリン製造株式会社製の「ストラディバリ」と「ヴァイオリン教則本」を買ったのを覚えています。名前は「ストラディバリ」ですが、弓と松ヤニを合わせても、当時、9千円ほどでした。もちろん、フルートを欲しかったのですが、一番安い日本管楽器製(日管)のものでも3万円ほどしていましたので、到底手が出ません。それに、私は全国コンクールに出場して、当時50万ほどしていた村松フルート製作所の楽器を吹いていたという自負心を持っていましたので、安物のニッカン(失礼)に変えられる訳がありません。この時は、まだ「弘法筆を選ぶ」というセコい人格でした。
 そこで、憧れのヴァイオリンに果敢に挑戦しようと思い、即座に手に入れたのでした。

 

★★“反骨精神”の芽生え★★
 さて、中学二年生の夏休みに話を戻します。
依然、先輩2人のイジメも続き、演奏旅行にトラックを運転して協力してくれる父・郁郎の「成績が下がればブラバンを辞めさせる」は変わりありませんでしたが、不思議な事に、「将来、オーケストラ(管弦楽団)で吹くぞ!」という決心が固まると、揺るぎない何かが私をいつも勇気づけてくれます。もっと正確に言うと、自分の進む方向を見出したことで、心に盤石とした土台が出来た実感がありました。
 善く善く考えると、先輩2人も父も、私に気を取られています。当時私は、吹奏楽やオーケストラのサウンドに心身共にシビれ、それらの名曲を貪るように聴き、その音楽がどんな時も頭の中で鳴り響いておりました。今から思えば、これが“集中”経験の始まりだったのでしょう。
 集中は、自ずから進んでその境地を得るのが本筋なのかも知れませんが、私の場合、名曲という天才達の心から溢れ出た才能そのものが、私を捉えて放しませんでした。しかし、その感覚・境地は同じものだと思います。
 前にも書きましたが、ある意味で「心頭滅却すれば火もまた涼し」を体験していたのかも知れません。もちろん「イヤなことから逃げる」という動機は不純かも知れません。しかし、イヤなことが起これば、脳裏に名曲の力強いメロディーをフルボリュームで流すことで、その苦痛を麻痺させる手法をマスターしたのです。そして、この手法はイヤなことが起きれば起きるほど、それに対する挑戦心のボリュームが上がるのです。「逃げるために挑む!」……ちょっと矛盾しますが、活力がこのようなところから湧き出てくるのも「それも人生」だと今は思います。手前味噌ですが、「終わり良ければ総て良し!」と、私は自己弁護も兼ねて人生を解釈しています。
 このような心を芽生えさせた私は、何に対しても一事が万事、イヤなことには挑戦する反駁(はんばく)精神が芽生えたのです。俗には「反骨精神」というのでしょうが、私の場合は「負けないぞ!」という心意気でした。そして、私は徹底して、自分自身に集中してゆきました。下手をすると独善的エゴイズムな性質を持ったかも知れません。いや、人から見るとそういう人間なのかも知れません。ただ、人のことに構っていると、自分の憧憬や探求する時間が疎かになり、一歩の前進も進歩も生産性もありません。これは、現在も同じように感じます。人生のムダの最たるものは、「人のことで心を捕らわれる」ことではないでしょうか。
 ここで注意しなければならないことは、自分のことに集中するということは、少し間違えばエゴ(身勝手)とドグマ(独善)に冒されます。しかし、この危うい間違いから私が救われたのは、それも音楽のお陰です。吹奏楽やオーケストラは、メンバーみんなと気を合わさなければ、より素晴らしい芸術にならないからです。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/