M&Uスクール

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今週の喝 第693号(2018.7.30~8.5)この世は全て催眠だ(434)〜楽器との出会い……その意味は!?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(434
楽器との出会い……その意味は!?

 もしあの時、得津武史先生が有無を言わさず私の頭に天ぷら棒の嵐を浴びせていたら……このように仮説的に考えると、きっと私は今のように、音楽家を職業にして、人の心の奥底に潜む潜在意識の研究家にはなっていなかったでしょう
 「あの時」というのは、私の中学校一年生(1964)の10月10日・東京オリンピックの開会式当日です。私はクラブ活動をサボった理由は、開会式をリアルタイムで見て、古関裕而先生作曲の東京オリンピックマーチをいち早く聴きたかったのです。それを正直に言ったところ、「オリンピックとブラバンの関係」を大嫌いな作文に書いてくるという罰則を与えられ、私は万事休す!如何なる方策も思いつかなくなったので、その経緯と自分の思いを素直に書いたのです。
 その作文が西宮市で秀作に選ばれたのには、自分自身驚きました。子供ながらに、嘘をつくリスクと素直な心のエネルギーの差を心底感じた出来事でした。得津先生が頭ごなしに私に制裁措置を執っていたら、私はきっとむくれてしまって、下手をすれば吹奏楽部を辞めていたかも知れません。
 かといって、国語の成績が急に伸びたかというと、相変わらず嫌いなモノは嫌いで、低迷しておりました。いまも、文章を書くのは億劫です。このように言うと、
 「こうして文章を書き、孫子や武士道について書籍も執筆しているではないか……?」
と、多くの方がおっしゃいますが、私は“好き嫌い”“正しい間違い”が違うように、“好き嫌い”という感情に負けまいとするもう一つの事象が私を包んでおりました。
 それは、楽器そのものです。私は楽器を上手く演奏できるようになりたいと思う反面、練習は大嫌いでした。この心は、今も大差ありません。文章書き一つとっても同様に、芥川龍之介や夏目漱石、また、正岡子規といった天才達の文章や詩歌には感動しますが、自分がそれを出来るようになるには幾多の困難な勉学が横たわっています。私は、それに挑戦する気力は湧きません

 

★★「能力」の発見とは、“意味”の発見!★★
 「音楽」と「国語」……この違いを現在振り返ってみると、私の“好き嫌い”という感情は、今も昔のまま心に残っております。何ら中学一年生の時と変わっておりません。では、なぜ音楽家になって小説家にならなかったのか?これを正視してみると、ほんの少しだけ楽器の練習の苦しみよりも、楽曲を演奏できた時の歓びの方が勝っていたのです。
 国語は、漢字の読み書きもさることながら、テストに出てくる「“あれ、それ”といった代名詞は何を指しているか」的問題が私は大嫌いで、究明の歓び(正解)を体験しないまま学生時代を終わりました。その時の印象が相当悪かったのか、今も私の書く文章には、ほとんど代名詞は出てきません。“彼、彼女”といった人称名詞もあまり使わないようにしています
 もし、こんな心を知った先生が私のそばにいたとしたら……つまり、代名詞の重要性を懇切丁寧に説いてくれる先生がいたとしたら、私は今頃どうなっていたでしょう。音楽では、楽器を通して……というより、吹奏楽という街のみんなから期待を掛けられている団体にいることで、練習の苦しみよりそれを乗り越えた時の声援や達成感の方が勝ったのです。決して、私自身に音楽の才能があって、そっちに傾注したのではありません。そして、私はフルーティスト、作曲の道を選ぶのですが、それも、得津先生が苦しい練習の意味を教えてくれたからです。
 私が身をもって感じ取ったこと、それは
 「勉強の出来ない子は、勉強する意味を分かっていない子であり、決して頭が悪い人間ではない
ということでした。また、多くの人間は、「○○には才能がある」という風に言う時も、その心の裏には“努力への執着の無さに対する言い訳”の場合が多いことも人生体験の中で感じました。
 私のような“アカンたれ”で“なまけ者”が「才能」を発揮できたのは、その才能に意味を持たせてくれた素晴らしい“師”がいたからです。先生と師の違いはここに歴然と表れます。先生は「知識」を与えてくれますが、師はそこに「意味」を見いだすことの重要性を示唆してくれるのです。この意味の発見を、哲学ではRaison D'être(レーゾン・デートル=存在意義)と呼びます。
 “生き甲斐”という言葉があります。生き甲斐を見つけるとは、この存在意義に気付き、一つのことを達成するのに横たわる苦に勝る夢と希望を見いだすことをいうのです。
 従って、私が今日この姿でいるのは、自分の中に埋没していた能力を“好き嫌い”という感情を凌駕した理性を、師匠によって発掘して貰ったからと私は感じています。また、このように師と出逢う(邂逅する)のはなぜかと考えるに至って、後にM&U SCHOOLが出来たのです。
 PS)邂逅とは、「人生を変えてしまうような出逢い」と私たちSCHOOLでは解釈しています。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/