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今週の喝 第691号(2018.7.16~7.22)この世は全て催眠だ(432)〜日本が育ち盛りの頃、東京オリンピックは開かれた〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(432
日本が育ち盛りの頃、東京オリンピックは開かれた

 さてさて、話しを私の黎明期、中学時代に戻しましょう。
私の中学一年生は昭和39年(1964)。東京オリンピックが開かれた年です。開会式は10月10日(土曜日)午後、以後はそれを記念して体育の日に制定されていました。
 私が何故、このように明快に当時のことを覚えているのかというと、そこにはちょっとした事件がありました。当時、このオリンピックのためになけなしの金をはたいて我が家にはカラーテレビが設置されました。そして、その入場行進のために、あらたに行進曲が作曲されたと事前のニュースで言っていましたので、吹奏楽部に入部した私は、矢も盾もたまらなくなり、開会式を見たくなりました。しかし、土曜日は一年生といえども練習があります。
 当日「さて、どうしたものか」と思案しておりましたら、急に腹痛が始まり、それを理由に部活を休んで、入場行進を食い入るように見ていました。その時、Clarinetの高橋君が、
 「梅谷、お前のフルートが音楽室から盗まれたみたいやから、たとえ腹痛であっても探しに来いと得津先生が言うてはんで
と家に訪ねてきたのです。ところが、私は常に楽器は肌身離さず携行するようにしていましたので、
 「楽器やったら、持って帰ってるから心配せんでええ
と追い返したのです。もうお分かりのように、先生の意図は、腹痛くらいでサボったらどうなるか思い知らせようとしての作為的なものでした。
 そして、開会式が終わる頃、今度はFluteの福本先輩が、
 「とにかく、学校に来い!
と凄い剣幕で家にやって来て、学校に連行されました。

 

★★「考えるな。感じろ!」を肌で感じた瞬間★★
 「これは、ただでは済まない。何発天ぷら棒の雨が降るか?」
と恐れおののきながら、先生の前に行くと、先生は
 「腹痛(はらいた)くらいで部活を休むな。腹痛はババ(大便)したら治る!ほんまは何が理由や?
と私の心をお見通しです。この威圧に負けて、私は自分の心に正直に
 「ハイ!東京オリンピックの開会式を見たかったんです。その行進曲を聴きたかったんです
と言うと、
 「よし分かった。それなら、東京オリンピックとブラスバンドがどう関係があるんか作文を書いてこい!
という罰を言い渡されました。その当時、私が最も嫌いな教科は国語で、その中でも作文を書く人間の頭の構造は理解しがたいものがありました。
と言う訳で、私の頭の中は真っ白!期限は2日後の月曜日です。始めは、自分が国語が苦手ということから、何とかして逃げ出す方法を模索していましたが、代筆をしてくれる人間がいる訳でもなく、だんだん諦めの境地「どうでもええ!」と思い始めました。しかし、私の頭の中(心)は、あのオリンピック・ファンファーレと共に、オリンピックマーチのイントロが巡り、TVで見た情景が浮かび上がってくるのです。まったく、作文が手に付きません。鉛筆と消しゴム、そして原稿用紙をおっぽり出しても、そのメロディーは頭の中を駆け巡ります。そして、仰向けに寝そべって天井を眺めていると、以前にも同じ体感をしたことを鮮明に思い出したのです。そう、小学校1年生の時にはじめて我が家にTVがやって来た時、初めて観た番組が「月光仮面」で、その主題歌を一度聴いたとたん、グルグルと私の脳裏を「🎶何処の誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている……」のメロディーが巡るのです。
 こんなことを感じている時に、得津先生が脳裏に現れ、
 「悪い頭で考えても良い作文なんかでけへんゾ。感じたことを書いたらええんや!
という声が聞こえてきて、ガバッと起き上がった途端、
 ●練習をサボった厳罰でこの作文を書かされていること。
 ●国語が苦手なこと。
 ●吹奏楽部に入ったからには世紀の祭典でのファンファーレやマーチを聴きたかったこと。
 ●昔、衝撃を受けた月光仮面の唄を彷彿とするくらい感動したこと。
 ●吹奏楽部に入部していなかったら、このような感動は持てなかったであろうこと。
などを一気に書きあげて、月曜の朝、得津先生に提出しました。不思議な事に、この件で私は一発も天ぷら棒を食らいませんでした。不思議です。
 そして、我が吹奏楽部は全日本吹奏楽コンクールに於いて見事1位を獲得した一週間後、11月半ばのことです。国語の古本先生から職員室に呼び出しがあり、
 「お前がこの間書いた作文が、西宮市のコンクールで優秀賞を取った。おめでとう
というのです。私はそんなコンクールがあることすら知りませんでした。得津先生と古本先生は職員室で隣同士に座る間柄です。それ以外は、何がどうなったのか未だに分かりませんが、とにかく朝礼の時に表彰されたのは覚えています。
 ここから感じた教訓は、「国語が苦手!」等というのは自分の思い込み。則ち、マイナスのセルフイメージがそのようにさせるのです。良くやろう、上手く思われようなどを全て棄て、“感じたまま”を伝えることがどれだけ素晴らしいエネルギーを発揮するかを、はじめて体感した出来事となりました。
 PS)それ以降も、国語の成績は主要五教科でいつも最低!しかし、楽器の表現には大いに役立ったと確信しています。でも、そんな自分が後に本を出版するとは……いやはや、人生はよく分かりませんねぇ(^^;)

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/