潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?
この世は全て催眠だ(430)
「才能」は“出逢い”によって開花される
皆様には、多大な心配をお掛け致しましたが、天のご加護からか当初2ヶ月入院といわれていたにもかかわらず、昨日(1ヶ月と少し)で退院することが出来ました。ありがとうございます。
さて、我が人生、66年間を振り返りつつ、自分自身がこの世に生まれてきた存在意義(レーゾン・デートル)を求めてこのコラムを書いています。
私は幼少期より、本当に色々な体験をしてきました。いや、私などという小さな存在を超えた、もっと大きな存在=Something Great(神様?)によって、「気付け!気付け!」と体験させられてきたのかも知れません。(しかし、未だに明快な回答を得るには至っておりません)
1歳半の時、煮えたぎったお湯にはまり、左半身を大やけど。しかし不思議な事に、私の父方の祖母・芳枝によって作られていたキュウリの絞り汁を原料にした民間療法の火傷薬で、今はケロイドの跡もなくキレイな肌を取り戻しています。
そして5歳で、医者に「10歳まで生きられないかも」と言われるほどの重篤な急性腎炎に掛かり、西宮市民病院に入院していたときも、芳枝婆さんは、仏(観音像)の前でトランス状態になり、その時の霊示で、突然「奈良の大和郡山へ行く」と言って出かけ、3日後に正露丸を大きくしたような丸薬を6粒もって帰り、医者に相談することもなく、それを塩分摂取禁止といわれている私に、売店で買ってきたジャムパンの中にその薬を押し込んで、食べさせました。その結果、私は今もこの世に生きています。
このように病気や怪我(火傷)という厄災を乗り越えられたのは、祖母・芳枝の情念が私を救ったようです。厄災による気付きも“出逢い”なら、家族や多くの人達に多大な影響を受けたのも、“出逢い”の為せる業です。
以前にも書きましたが、音楽への憧憬の念は既に小学校1年の時より始まっていたようです。そして、音楽教師・田中信雄先生との“出逢い”は、私の音楽への潜在エネルギーを目覚めさせて下さいました。今その時を振り返ると、私はとても音楽に敏感に反応していたのですが、そこで止まり!それを自分のものにするには、次の“出逢い”を待たなければなりませんでした。
★★“師”との出逢いは、成功へのパスポート!?★★
そして、中学生。我が郷土・今津には名物教師・得津武史先生がいて、田中信雄先生の感化によって音楽的感覚を覚醒された私は、生演奏に「感動」を覚える性質を植え付けられていたのです。
得津先生の教育は、端的に
「悪い頭で考えて、良い解答が出る訳がない。頭は感じるために使え!」と、目から鱗の教育です。それまでの固定観念では、頭を使って物事をじっくりと考え、その先にある正解を手中にする事が素晴らしい人間だと教えられていたのに、得津先生はそれを真っ向からぶち壊し、素晴らしい人間とは、人に感動を与える人間で、その為には、自分自身の感覚と感性を研ぎ澄ます……つまり「感じる」ようになる事だというのです。
すると、「考えていた自分」では発見できなかったエネルギーがお腹の底からモリモリと湧いてきて、“勇気、冒険、挑戦”の実感をするようになりました。具体的に言うと、自分の心から“恐怖心”が少なくなり、能動的姿勢で未知のものを求める探究心に変わってゆきました。
現在(いま)、私はM&U SCHOOLを開校し、「心の科学」をみなさんに伝える立場に立っているからこそ明快に分析できますが、「勇気」とは、そこに“礼節”=礼儀(バランス)と節度(タイミング)が合致し、心がどっしりと落ち着いた状態で、尚且つ、多くの人間と同じ感性・感覚の下に一つの目標に向かって進んでいる時に「エネルギー」として実感するものです。
私の今津中学校吹奏楽部入部は、そんなエネルギーに支えられて、独善的な父にも抵抗しながら頑張れたのです。今、逆説的に考えてみると、もし、父が物分かりの良い人で、吹奏楽部入部を諸手を挙げて賛同してくれていたら、私にこのようなエネルギーが湧き出したかどうかは分かりません。齢66の現在より当時12歳の私の成長過程を観察すると、色々なことが全て自分の人生に必要不可欠なものであったことが分かります。
現在(いま)、苦しくて投げ出したくなることも、未来より見るとそれが自分に必要と分かるのです。しかし、いくら人の人格形成や技量習得に必要とはいえ、辛いこと苦しいことは投げ出したくなるのが人の常です。しかし、つい1ヶ月前に体験した腰痛からくる激痛は、逃げるに逃げられません。このように逃げられない厄災を体験することも、人間の成長には必要不可欠なものなのです。
1976年に森田公一とトップギャランによって歌われ大ヒットした「青春時代」の歌詞に、
♪青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの
青春時代の真ん中は 道にまよっているばかり (作詞:阿久悠)
とあるように、私たち年長者から見ると素晴らしい“青春時代”ですら、その渦中にいる人間には“苦”としか感じません。
だからこそ私たちは、そこに人生の方程式を求め、その方程式を信じて前進するしか自分を生かす道は存在しないのです。自ら勇気を奮い立たせることで、“師”との出逢いがもたらされるのです。師を持った人は、みんな異口同音に「師=苦」といいます。それほど、我々の人生行路は五里霧中にあります。従って「良薬口に苦し」の格言通り、厳しい苦を与えてくれる師との“出逢い”は、「成功へのパスポート」とも言えるのです。
この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/