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今週の喝 第681号(2018.5.7~5.13)この世は全て催眠だ(422)〜 舞台度胸と演奏技術〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(422
舞台度胸と演奏技術 

 今津中学校吹奏楽部の強みは、たとえ中学一年生で楽器を持って2ヶ月であろうと「2000人の吹奏楽」や「アマチュア・トップ・コンサート」など、晴れの舞台に立たせ、テュッティ(斉奏)で演奏できる箇所は必ず吹くように指示されました。
 その訳は、後年、得津先生自身から伺いましたが、「ジャリ達(中1)に舞台度胸を付けるため」だそうです。それに、この二つのコンサートは最後に合同演奏による大合奏があります。その時、自分の隣にいるフルートは皆年上で、尚且つ他団体の人達です。そんな中で臆するか勇猛果敢に挑むかを、遠目に先生は観察していたようです。
 楽器吹きというのは、どんな繊細な感性を持ち、素晴らしいテクニックを習得しても、舞台の上で上がってしまったら、万事休す!最も大切な要素は「度胸」なのです。少々生意気で高慢ちきな人間でも、舞台度胸があれば、当初はそれなりの活躍をします。
 吹奏楽部は文化部ですが、その内実は運動部のそれに近い性格を持っています。従って、生意気になって眼に余る行為を続けていると、やがて先輩達の粛清の嵐が吹き荒れます。とにかく、ヒエラルキーが厳格な世界で、それもフルートならフルート、トランペットはトランペットと、パート単位の上下関係はそれは厳しいものでした。ですから、生意気に突出する者は制裁を受け、引っ込み思案の者は足手まといにならないように扱(しご)かれます。コンクールの世界では、一人上手な人間がいても、足を引っ張る人間が居れば音が乱れ負けてしまうのです。この辺りは軍隊とよく似ています。またスタンドプレーもアンサンブルを乱すので禁物です。
 そして、コンクールは楽曲を成り立たせる為の必要最小限の人数しか出場できませんので、(私の時代は)40人全員がシッカリと自分のパートを熟(こな)すと共に、緊張して上がったらもうお終いです。ですから舞台度胸は演奏技術と同等なのです。テクニックとメンタルの相反するバランスこそ、優勝の鍵といえるのです。
 
★★恐怖のトリプル・タンギング★★

 さて、全日本吹奏楽コンクール終了後、中1の私は晴れて日本一を目指すレギュラーメンバーとなりました。と言いたいのですが、この日より、地獄の日々が始まりました。予測はしていたものの、得津先生もジャリ達を一刻も早く上達させなければならない使命感から、今までの仏の顔から、それこそ鬼の形相に変わり、頭上に降る天ぷら棒(先生が指揮棒の代わりに用いていた菜箸)の数も激増しました。しかし、一所懸命練習し演奏困難な箇所をクリアすると、「ようやった!」とストローク(褒め言葉)も一段と声高になります。この快感がたまらないのです。
 自分の努力を先生が認めてくれる、しかし、少し怠けて誤魔化そうものなら、一瞬に見破られ天ぷら棒の嵐です。その勧善懲悪・信賞必罰の原理は今も私の心の底辺に貼り付き、後年、苦境に遭遇した時のバネの役割を果たしています
 話しをアマチュア・トップ・コンサートに戻します。1965年(オリンピックの翌年)の正月明けに行われたトップ・コンサートの合同演奏の曲目は、映画「エル・シド」の行進。エル・シドは、イスラム教徒に恐れられ、異教徒のスペイン侵入を防いだ英雄です。最後は彼自身、胸に槍を受けて死ぬのですが、敵がそれに気付いていないのを幸いに、遺言に、「私が死んだら、その遺体を馬に乗せ、敵陣めがけて出陣させよ。そして、スペイン兵はそれに続け!」といって事切れます。そして、映画のクライマックスで、高らかに流れるのがこのテーマです。
 しかし、楽譜を貰った途端、青ざめました。楽譜を掲載できないのが残念ですが、その重騎兵や竜騎兵の軍団がエル・シドと共に、イスラム軍に突撃する場面でとても早い三連符が出てくるのです。フラメンコのようなリズムで、装飾部分が三連符なのです。
 専門的で申し訳ありませんが、管楽器のリードを用いる楽器(オーボエ、クラリネットやサックス)以外は、三つのタンギング(舌使い)があります。
 ①シングル・タンギング……タ、タ、タ、タ、タ、と喋るようにマウスピースを舌で叩きます。
 ②ダブル・タンギング……シングルでは追いつかない様な速い曲で用い、タカタカタカタカタカととてもスムーズに行きます。さて、問題は次です。
 ③トリプル・タンギング……普通の早さの三連符はシングル・タンギングで出来ますが、これが「エル・シド」のように早くなると、タタカタタカタタカタタカ、または、タカタタカタタカタタカタとなります。この舌使いは練習しても出来ない人もいるくらいで、管楽器奏者にとって一つの関門といえるでしょう。
 その時、私は全く出来ませんでした。そして、コンサートは近付いてきます。必ず、天ぷら棒の嵐が私の頭上を吹き荒れるかと思ったら、目の前が真っ暗になりました。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/