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今週の喝 第680号(2018.4.30~5.6)この世は全て催眠だ(421)〜吹奏楽大ページェント「2000人の吹奏楽」〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(421
吹奏楽大ページェント「2000人の吹奏楽」

 一人の負けず嫌いの学校教師・得津武史先生が関西に一人いただけで、「関西は吹奏楽のメッカ」といわれるくらい吹奏楽界はみな切磋琢磨し、活性化してゆきました。そして、とにかく先生方の横の連携がスムーズで、その交流もすこぶる盛んでした。

 そこで、その吹奏楽黄金期を築いたメンバーが、企画したページェントが、関西を代表する吹奏楽ページェント

 「春の吹奏楽~1000人の合同演奏~」

 1961年(昭和36年)に第1回目が開催されました。しかし、年々参加団体が増加したため、第2回目からは「2000人の吹奏楽」、さらに第29回からは「3000人の吹奏楽」と名称を変え、現在に至っています。当初は阪急ブレーブスのホームグラウンド西宮球場で開催され、閉鎖後は京セラドーム大阪に変わりました。このイベントには、関西のアマチュア吹奏楽団にとどまらず、陸上自衛隊中部方面音楽隊、第3音楽隊、阪急百貨店吹奏楽団、阪急少年音楽隊、宝塚歌劇団などプロやセミプロも参加し、それぞれの素晴らしい演奏や演技を披露しました。当時の西宮球場は、(ゴメンなさい)野球で満員になったことはないのに、この「2000人の吹奏楽」では、チケットがなかなか取れない盛況ぶりでした。それもそのはず、このページェントの目玉は、最後に出演者全員の2000人(当時)が奏でる大合奏でした。

 私がこのページェントに初参加したのは中1の6月も終わりの頃、それこそ「枯れ木も山の賑わい」的に2000分の1での出場です。そして、曲目はチャイコフスキー作曲「大序曲1812」す。楽器を持ってまだ2ヶ月少しの私がこの難曲を熟せる訳もないのですが、今から思えば必死になって何とか少しでも吹くことの出来る箇所はマスターしようと、決して諦めず食い付いていったのが、今では懐かしい思い出です。

 

★★「大序曲1812」は今も我が脳裏を駆け巡る★★

 吹奏楽の大ページェント「2000人の吹奏楽」……オリンピックの年(1964)の大合奏「大序曲1812」は、チャイコフスキーによってその曲中に本物の大砲(キャノン砲)4門の使用が書かれています。この曲はその西暦年号が示すように、ナポレオンがロシアを攻めたのですが、ロシア軍の抵抗と彼の地の寒さ(冬将軍)に阻まれ、大敗退を喫した模様を音楽で物語風に描写したものです。もちろん、普通のコンサート会場にキャノン砲を持ち込める訳がないので、大太鼓や大砲のレコーディングの音で誤魔化すのですが、この「2000人の吹奏楽」の総合プロデューサーは、宝塚歌劇団理事の内海重典先生です。後年、内海先生は、私を非常に懇意にして下さり、84歳で亡くなられるまで、いつもフィルハーモニア東京管弦楽団や個人的に私たちのクラシカル・ショー楽団「梅組公演」をプロデュースして下さいました。また、日本万国博覧会EXPO‘70の開会式、東京ディズニーランドのオープニング、大阪御堂筋パレードの総合演出家としても超有名な方です。

 この先生がやることはとにかく凄い!出演団体の中に陸上自衛隊中部方面音楽隊がいると、中部方面総監に折衝して、何と西宮球場にキャノン砲4門を実際に据え置き、それではモノ足らないと機関銃部隊を演奏中に実際の戦闘訓練をさせてしまうから凄い。

 私は吹奏楽部に入部してまだ2ヶ月少しで、本物の大砲の4門の下でフルートを吹いたのです。フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」旧ロシア国歌「神よ、ツァーリをまもり給え」がフォルテッシモで鳴り響いた時、この4門の大砲が火を噴きます。リハーサルの時は実際に(空砲ですが)発砲しなかったからその迫力は本番だけのもので、どんな音か全く想像もつきません。

 そして、本番!……ロシア兵の神への祈りの賛美歌に始まり、戦闘場面。当初はフランス軍がボロジノの戦いで優勢を誇りますが、その後のモスクワ市街戦になると、ロシア軍のモスクワ焦土作戦が功を奏し冬将軍の助けを借りて、ロシア軍が勝利し高らかに低音パートがロシア国歌を演奏する場面。いよいよキャノン砲4門が火を噴きました。如何にフォルテッシモに慣れている吹奏楽のメンバーも、そのボリュームたるや、フォルテが軽く6つは付く大きさに加え、キャノン砲の衝撃波が2000人を襲います。

その時、私のフルートのマウスピースは口から外れ、身体は大体30㎝は椅子から飛び上がった記憶が甦ります。その迫力たるや、言語に絶するという言葉がピッタリ当て嵌まり、私の脳みそは今まで感じた音楽のどのフレーズよりも印象深く感応しました。あの体験がもしなければ、新世界の4楽章のテーマだけではへこたれていたかも知れない私に、勇気気迫、そして音楽の持つ魔性をもたらし、こんな音楽を作ってみたいと思ったのです。今でも、この感覚は私の脳裏に共振を起こします。

 ミーハーですが、私どもの車のナンバーは“1812”、そして、今年4月8日に我が息子がオープンしたレコーディング・スタジオの名前も親の影響を受けてか「STUDIO1812」です。

 チャイコフスキー先生、私の人生に感動をありがとう!

 

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/