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今週の喝 第679号(2018.4.23~4.29)この世は全て催眠だ(420)〜 吹奏楽の誉れ「アマチュア・トップ・コンサート」〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(420
吹奏楽の誉れ「アマチュア・トップ・コンサート」 

 さて、我らが今津中学校吹奏楽部も、東京オリンピックの年(1964)、日頃の成果が見事に発揮され、香川県高松市で行われた全日本吹奏楽コンクールで日本一(金賞ではありません。昔はトップは1位一つでした)を獲得し、威風堂々の凱旋コンサートが開かれ、1日の休日の後、私たち一年生22名はレギュラーメンバーになりました。めでたし、めでたし……!
 と、思うまもなく、レギュラーとしての地獄の日々が始まったのです。練習の厳しさは、スタンバイの時とは比べものにならず、すぐに12月が訪れました。そして、練習に次ぐ練習の毎日は、次の年1月15日に宝塚歌劇団が所有する宝塚大劇場で、毎年行われる「アマチュア・トップ・コンサート」の為のものです。
 当時の吹奏楽界の日本一は、全て関西勢が制覇しており、そこに、合唱団を加えた、小中高大、一般、職場の12団体がそれぞれの演奏を披露します。そこに宝塚歌劇団の次期スターを目指す宝塚音楽学校の生徒が加わり、あの歌劇の大舞台の装置をフル稼働して、それはそれは素晴らしい2時間半のショー(コンサート)を繰り広げます。そして、最後は出演者が一堂に会しての大合奏でそれはもう「第九交響曲」に匹敵するような迫力のエンディングです。
 当時の吹奏楽の出演団体を振り返りますと、松平正守先生率いる大阪府池田市立呉服小学校吹奏楽部、我らが得津武史先生の扱(しご)きで揺るぎない地位を確立していた西宮市立今津中学校吹奏楽部伝説の教師矢野清先生率いる奈良天理高校吹奏楽部、大学の部は学生指揮ながら見事に連続優勝を果たした関西学院大学応援団総部吹奏楽部、一般の部は辻井清幸先生を常任指揮者に尼崎市吹奏楽団、そして職場の部は我らが今津中学校吹奏楽部を創部し、すぐに得津武史先生にバトンタッチした(我が母洋子の担任でもあった)鈴木竹男先生率いる阪急百貨店吹奏楽団と、まあ、全てが関西勢で占めていた関西吹奏楽の黄金期でありました。
 
★★「大阪弁」はタンギングに最適!?★★

 吹奏楽の世界をアマチュア、プロに関わらず詳しく情報提供する月刊誌「バンドジャーナル」(音楽之友社刊)には、当時、吹奏楽日本一を獲得する原因について著名な音楽評論家の方々の時評を加えて、それこそ「プッ!」と吹き出すような記事がありました。それは、
 「大阪弁が管楽器のタンギング(演奏するときの舌使い)に適している!
というものでした。確か、先の錚々(そうそう)たる先生方が一同に会して座談会形式でそれぞれ侃々諤々意見を述べ合うのをバンドジャーナルの記者がまとめたもので、この「大阪弁管楽器適合説」は、阪急少年音楽隊隊長兼阪急百貨店吹奏楽団常任指揮者の鈴木竹男先生の発言であったと思います。
 「どことなく締まりの無い関西弁のアクセントが、柔らかいタンギングを生み、それが音楽全体を暖かく演出する
というもので、中一の私は大阪(今津)に生まれて良かったと妙に納得しました。以後は、東京豊島区立第十中学や島根の出雲第十中学など今津中学の強敵が現れるので、この大阪弁説には少々疑問を感じますが、当時は真面目に語られておりました。
 この現象を後に、自分が受け持っていたNHKのディスクジョッキー「梅忠のサウンドボックス」にそれぞれの先生を招いて私は具(つぶさ)に検証しました。そこにはもちろん恩師得津武史先生もスタジオで熱く語って下さいました。その先生たちの論評をまとめると、大阪弁説は全く飛び出さず、凄いことに異口同音、
 「あの頃の指導者達は、みんな仲が良かった。だから、情報交流がしっかりしていた
と懐かしく語られます。まさに、小中高などジャンルこそ違え、そこには“良きライバル”として、「負けてはならじ!」という精神が一定に流れておりました。その起爆剤となったのは、手前味噌かも知れませんが我らが得津武史先生でした。
 先にお伝えした「アマチュア・トップ・コンサート」に於いても、得津先生は、当時プロの吹奏楽団であった大阪市音楽団のコンサート・マスター木村吉宏先生に依頼して、当時世間を賑わせていたヒットポップスや流行のリズム(サンバやロックンロール)をたっぷりと取り入れ、そして、当時ジャズのビッグバンドで自分のソロのところになると、目立つように行ったスタンドプレー(立奏)をさせて、それは楽しい企画と編曲で12団体の中でも最も拍手が多かったのを覚えております。とにかく、練習は地獄だったけれども、演奏者にとっての最大のねぎらいである、拍手と顕示で私たち豆演奏家をワクワクさせてくれました
 まさに、練習は厳しいけれど、格好良い私(生徒)を演出してくれるのです。そこでも、
 「お前ら、今度のトップ・コンサートでも、一番ようけ拍手もらわなあかんゾ!
と、檄を飛ばすのです。その根性が、関西の吹奏楽界を牽引していったことは自明の理であります。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/