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今週の喝 第672号(2018.3.5~3.11)この世は全て催眠だ(413)〜凡(およ)そ音楽とは縁のない街……それが今津地区〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(413
凡(およ)そ音楽とは縁のない街……それが今津地区

 西宮市立今津中学校吹奏楽部……その中学校「文化果つるところ」と言われるほどのガラの悪い街に誕生したことが、その発展の出発点となったのです。
 ガラの悪い街何故メリット?と不思議に思われるでしょうが、これが奇跡的な環境と人材を輩出する切っ掛けとなったのです。現在、この地区にお住まいの方のために申し上げますが、今は治安も良く住みやすくなっておりますので、悪しからず!
 私が中学生の時は、とにかくひどかった。西宮市は、大阪神戸のベッドタウンとして発展し、現在では市の中央に位置する阪急電車西宮北口(西北<にしきた>)駅周辺は、関西で住みたい街連続第1位を獲得する快適且つ上品なところです。その西北から1㎞ほど南へ下った辺りからが今津地区です。
 作家の有川浩が小説「阪急電車」を執筆し、映画化された舞台となった阪急沿線は正式には“阪急今津線”といい、私が中学生の時は、西北駅で神戸線と平面交差する世界的にも珍しい電車の交差点が有り、鉄道マニアならよく知っている場所でした。しかし、現在では神戸線が過密化したため本来なら立体交差すべきところでしょうが、今では西北で分断されています。
 ちょっと捻くれて考えると、お上品な西北以北の人達と、西北以南の我々が住まうガラの悪い今津地区を、阪急は意図的に分断したのかと訝(いぶか)しくおもいます。その阪急今津駅は阪神電車とT型に接続し、その乗り換え口周辺には、映画館が五軒も林立しておりました。その内の2軒がポルノ上映するのですから想像して下さい。(今は全て閉館になりました)
 我が父・郁郎も生粋の今津っ子。下町にありがちな父親像です。そんな地区に赴任してきた得津武史先生は、この街とよほど相性が良かったのだと思います。

 

★★「どうすれば成功するか」だけを考えよ!★★

 得津武史先生が、音楽の道に進んだ本当の理由は、あまりのゴンタクレ(悪たれ小僧)ぶりに業を煮やした叔父が、座敷牢に閉じ込めていた時、ピアノ教師であった叔父のレッスンを遠くで聞いていて、「あれなら自分にも出来る」と、大見得切って挑戦したのが嚆矢だと、いつも言っていました。このゴンタクレと音楽というミスマッチが、やがてガラの悪い街今津と吹奏楽日本一という日本最大のミスマッチを生みます。
 先生は、復員後に田辺小学校の教員をしながら進駐軍相手のバンドを結成し日銭を稼いでおりました。しかし、だんだんバンドが忙しくなると週に1日くらいしか学校に出勤しなくなり、とうとう馘になりました。そして、それが少しはこたえたらしく、もう一度教員としてやり直そうと奮起し、初めて赴任したのが、それこそ日本で一番上品な街といっても過言ではない「夙川」の夙川小学校。ここでは、地区と性格がこれも大ミスマッチ
 そんな時、フラストレーションから毎日のように大酒飲んで酔いどれた街が、今津でした。ある日、この中学校への転勤話がやってきて、有無も言わず承諾しました。
 「水を得た魚」……まさに得津先生と今津という街は、完璧にマッチングしたのです。当時の今津は、商店主や職人、それに大関酒造など酒造りに従事する杜(と)氏(じ)たちが大半を占め、会社員(サラリーマン)は本の少ししかいませんでした。つまり、親たちが常にその街にいて、子供達と一緒に暮らしていた……とは云うものの、やんちゃな子供は仕事の邪魔ですから、吹奏楽部が出来て、猛練習で早朝から学校に行き、夜(夕暮れ過ぎ)にならないと子供が帰ってこないというのは、親たちにとっては好都合であったのです。ここでも、親たちと吹奏楽部はマッチングしていました。
 ガラの悪い街、ガラの悪い教師、ガラの悪い親たち……ガラの悪さでリンクした今津中学校吹奏楽部は、いよいよ吹奏楽の頂点を目指してそのエンジンを始動します。
 得津先生が「ピアノくらいワシにも弾ける!」と負けず嫌いで、叔父さんに食って掛かった勢いが、生徒達に「目指すは日本一や!」と、まだ歯抜けのブラバンのメンバーに発破を掛けたのですから、狂気の沙汰としか言いようがありません。歯抜けとは、バンドに足らない楽器やメンバーがいるという音楽用語(?)です。
 「メンバーが足らんかったら集めてこい!」
 私も夏休みの終わりに、一年生全員が集められ、
 「おまえらも、20曲のマーチが吹けるようになった。よう頑張った!ここで言うとく。これからは、楽器も勉強も出来(でき)るか出来(でけ)へんかと考えんな!どないしたら、出来るようになるかだけや
と、言われた後、
 「これからどんな苦しいことがあっても、ケツ割ったらそいつは月曜の朝礼の時、みんなの前で校歌を独唱させるからそのつもりでおれ!」
と、発破半分、脅し半分の訓示を頂戴しました。「ケツ割る」とは大阪弁で、「決心を覆す」という意味で、「一度やると決めたことを、辞めてしまう」ことを指します。
 私自身、今も何事をする時も、どんな苦しい時も、この「今津精神」とでも言いましょうか、「出来るか出来ないか」で迷ったり悩んだことは一度もありません。「どうすれば出来るか!」という考えしか浮かびません。そのお陰で、今日の梅忠があると自認しております。
 そして、音楽など縁のない子供達が、しかも情操教育など全く縁のない地区で、日本一と金賞合わせて17回という快挙の物語が始まります。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/