M&Uスクール

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今週の喝 第671号(2018.2.26~3.4)

潜在意識の活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!この世は全て催眠だ412

 

  才能より大切なものは“根性”!

 
 我が母校西宮市立今津中学校吹奏楽部が、今でも吹奏楽の歴史に残る前人未踏の成績を残したのには、不思議な人間の出逢いがあったからです。
 戦後の新憲法の下、義務教育が小学校6年と(新制)中学校3年の合わせて9年になったのが昭和22年。私たちの住む西宮市今津地区は、戦後の混乱の中、一説に「文化果つるところ」と言われるほど、教育環境の悪い下町で、生活保護を受けている生徒数が西宮市で最も多い中学校でした。街は荒廃し、子供達は不良グループを形成して、近隣の人達からはガラの悪さで恐れられているような状態でした。
 その今津中学校で、情操教育の一環として音楽で子供達に夢と希望を与えられないものかと吹奏楽部を創部したのが鈴木竹男先生です。鈴木先生は、これも偶然の為せる業でしょうか、我が母・洋子が今津中学校第一期生で入学した時の担任でありました。後に、鈴木竹男先生は私のことを教え子をもじって「教え孫」と呼び、とても親身になって可愛がって下さいました。
 この今津中学校に昭和31年、西宮で最も上品な地区にある夙川小学校から、今津中学校に転勤してきたのが、我が師・得津武史先生です。得津先生が赴任すると同時に、先任の鈴木先生は、阪急少年音楽隊に指揮者として招聘され、そこで関西を代表する素晴らしい楽団に育てられました。
 その後を継いだのが得津武史先生で、よほど今津という土地柄と水が合ったのでしょうか、以後25年にわたる宿命的な物語がスタートします。
 その吹奏楽部の一部員として私は猛烈に扱かれながらも、音楽やコンクールを通して、人間には才能以上に根性が大きな役割を果たすことを叩き込まれたのです。

 

★心に「達成感・充実感・満足感」を植え付けよ!★

 得津武史先生は、大阪音楽大学の前身、大阪音楽学校のピアノ科を卒業したと同時に、大阪南田辺尋常小学校の代用教員として赴任し、初月給をを貰ったその日に召集令状が届き、砲兵隊に入隊し関東軍東部国境警備兵として満州に駐屯することになります。
 その地で部隊長から、
 「得津一等兵、お前は音楽学校出身だったな。それなら特別任務を与える。我が命令は天皇陛下の命令であることを肝に銘じて聞け!可及的、速やかに軍楽隊を編成し、この辺境の地で兵士達の士気を鼓舞せよ
と言う命令を受け、連隊中から楽器を出来る者をかき集めて促成吹奏楽団を組織したのです。中にはチンドン屋出身者やサーカスバンドに居た人達もいて、初演奏の連隊記念日にどうにか間に合わせたといいます。
 この時、得津先生は演奏を聴く兵士達の感動ぶりに感激し、音楽の持つ人を動かす偉大なエネルギーに気付いたのです。
 こんな経歴を持つ得津先生が、私たち生徒にいつも日清戦争で有名になった“木口古平ラッパ卒”の話をしました。これは戦前の修身の教科書にも掲載され、当時の人達で知らない人はいませんでした。
 「キグチコヘイハ テキノタマニアタリマシタガ シンデモ ラッパヲ クチカラ ハナシマセンデシタ
 (木口小平は、敵の弾に当たりましたが、死んでもラッパを口から離しませんでした)
得津先生は、この古い話を私たちに教え込むことで、木口小平のラッパに対する情熱や自分の使命に対する忠実さが、あの感動的な最後をもたらすことを我々に教え込みました。先生は、心の中で
 「息子どもよ、真剣にラッパと取り組め。そうすればいつの間にかラッパを離したくなくなる日が来るぞ。先生が離せ!と言うてもな」
と、叫んでいたと言います。
 私たちは、この話を聞く度に、練習が嫌だとか、勉強の時間がないとか言っている自分が単なる怠け者であるのだと思いだし、やがて、好きな音楽を自分達は楽器で吹ける歓びに浸ってゆきました。音楽はもちろん聴くものですが、聴くだけで過ごす人より、自分で演奏できることは何十倍も幸せなことであることを感じ取ってゆきました。
 私の体験した初めてのコンサートでの父母や近隣の中学生達の拍手や声援は、私たち一年生23名の心に感動の嵐を巻き起こし、あらゆる苦難や試練に“耐える”ことの重要性と、その後にやってくる「達成感・充実感・満足感」こそ、人間の最大の歓びであることを実感させたのです。私が今も音楽を続けているのは、この“感動”と聴衆の“笑顔”のたまものであることは間違いありません。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/