M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第658号  (2017.11.27~2017.12.3)

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!この世は全て催眠だ399

 

        知恵+知識+意欲=才能!
                                 
 
  知恵……我々が学んだ“知識”を如何に自分に役立てようとするかという、我々の心の中から湧き出ずる発想です。
 現在の学校教育は知識を習得することに重きを置いており、それすら、思うように遂行できておりません。この根本要因は、学習する人間の“意欲”が、どこから生まれているのかを明快にしていないためだと私は考えます。つまり、ここでも人間のエネルギー方程式、[aE/X](a=引き込み係数、E=能力係数、そして、X=気散係数)についてお話ししたように、私は人間の能力の個体差は“ほとんど変わらない”と考えてみました。
 例えば異常に眼の良い人(視力2.5以上)が私の知り合いにいますが、全く天文学などには興味を示さないため、子供の頃、学校の帰りに“一番星探し”をしても、私が常にリードしていました。(当時の私の視力は、0.7でした)
  つまり、眼が良いとは機能の秀逸さ=“能力”です。その機能に対して「今頃の季節はどの辺りに天空で最も明るい星があるか?」という知識をベースに、その空域に予測を付けて探すことで見つかるのです。それは、視力(能力)と科学的データ(知識)を結びつける発想(智恵・アイデアが、あって物事の遂行がスピードアップするのです。
 しかし、人間はこれに我やエゴが加わり、「自分さえ良ければそれで良し!」とする性質を持っています。これも又、誰もが持っているものですから、そのまま放置しておくと、隣人他者も同じ感覚感性でいる訳ですから、必ず諍いが生じます。しかも、人間は社会を形成しないと生きて行けないように分業制に作られていますので、「自分さえ良ければ」というエゴは、必ず社会的破綻をもたらします。そこに必要なものが“教育”で、この根幹にあるのは、“エゴの矛盾”を教えることですそれの集約が、キリストが宣った「自分がして欲しいことを他者にもしてあげなさい」という究極の教え“黄金律”となるのです

 

★★教育とは、「黄金律」と「邂逅」!★★

 従って“教育する”とは、先ずは「黄金律」に集約される社会性を教え込み、それを実践することで得られる達成感や充実感、満足感を、名誉心で受け止め、自分自身が社会に対しての有用性のある役割を果たしているという実感を持つことが出来ればリーダーとしての素養が出来たことになります。つまり、教育するとは社会性を植え付ける事が根幹に無ければなりません。これをカリキュラムでは「道徳」の授業が受け持つのですが、戦後の教育界では、この道徳観の解説がシッカリと出来る教師がとても少ないのが現状です。彼ら教師とて、その昔「勤務評定」され、現在の予備校教師のように、「自分の生徒何人を有名大学に入れたか」というような実績主義になった時代もありました。そして、詰め込み教育が始まり、その教育に疑問を持った人達は「ランドセル廃止」などと極端な「ゆとり教育」の政策転換で迫ったため、子供達の感性はボロボロになりました。
 私の仮説のように能力係数は同じと考えれば、あとそこに作用するのは、興味があるかどうかに掛かってきます。先ほども言いましたように、眼の良さ(能力)より大事なものは、天文学に対する知識です。この知識は、詰め込みで教え込むことは出来ません。そこには、本人が持つ“興味”によってシッカリとした指向性が生まれるのです。
 では、この興味・指向性はどのようにして生まれ育まれるのでしょうか?それは、彼を取り巻く親や教師、友人や先輩達の動向で決まります。彼らとの人間関係に於いて、愛や信頼・信用で接してくれるのか、高圧的且つ冷淡な態度で接してくるのかで、我々人間は印象が大きく変わります。
 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざが表すように、一人の人間を嫌うと、彼の持ち物や衣服まで憎悪の対象になってしまうのが人間です。私はこのような観点から、学校での成績の良否をその学科の担当教師に対する印象度合いと並べて集計を執ると、なんと、嫌いな科目は、その嫌いな科目の担当教師が嫌いという生徒がほとんどでした。もちろん中には、そんなことは飛び越えて、自分の好きな教科を履修する人間もいるでしょうが、ほとんどが、成績の悪さは教師との人間関係の良否に比例することが分かりました。
 これが“教育する”ことの第二の要素です。人は親愛の情を持つことで、その事に深い興味を抱き、その親愛の情を持った人間と同じような境遇にいたいという同調性が喚起されるのです。ですから、師に巡り会うことは“邂(かい)逅(こう)”といって、「人生を変えるような出逢い」なのです。こんな認識を現在の学校教員の皆さんがどれほど持ってくれているのでしょうか?

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/