M&Uスクール

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今週の喝 第654号  (2017.10.30~2017.11.5)

 

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!この世は全て催眠だ395

 

         “存在意義”の目覚めこそ、生命力の源泉!

 

  さてさて、先週はアウシュビッツ強制収容所に於いてサバイバル戦術、「無感動」「無感覚」「無関心」と三拍子揃った「無気力」を覚知し、自分自身を唯々生への執着へと誘うエネルギーは、とてもナチュラル(自然)な所業であることをお伝えしました。

 そして、これは何もアウシュビッツのような過酷な条件下でなくても、現代社会における会社組織の中でもしょっちゅう起こっているのです。ただ、現代社会に於いては、過労死ブラック企業として訴えが起こらない限り、世間的な話題になることは有りませんが、私の知りうる限りでも、上司のパワハラなどによって、自分を無気力にもっていけなかった人間は、強制収容所と同じように、心を遣いきった者同様、心身疲労のため命脈を絶ちました。

 つい先日のNHKの女子従業員の過労死などは、その良い例です。その方は、とても繊細な心の持ち主であったに違いありません。その他大勢の者は、持って生まれた“業”に存在するサバイバル術……「無気力」になることで、また自分の能力を自ら卑下することで、その環境の影響を直接的に感知しない感覚を修得したのです。それも、潜在意識の中に組み込まれている“サイコ・サイバネティックス”の中の「生命維持装置」の働きで、最もエネルギー消費量の多い“心”を閉ざすことで自己防衛するのです

 このように書くと、「なんだ、サバイバル出来るんだ!」と、安易に考える人がいますが、その場は逃げても、その“無気力”の癖は、状況打開の後も同様に続くので、正常な職場環境に戻った後も、廃人のように無気力状態になり、社会復帰の困難さでアウシュビッツ経験者は苦しみました。

 ただ、フランクルのように強制収容所内で、自分の研究原稿の完成という“目的”を持ち、それを成し遂げた時の“達成感”を夢見た人間は、自分を取り戻す時間がすこぶる早かったと言います。つまり、人間は、自分が為すべきことを持ち、それを達成するエネルギーとして、自分がこの世に留まるための存在意義(レーゾン・デートル)を明快にしたときから、不思議な生命力が湧いてくるとフランクルは明快に言っています。

 

★★「苦」は、「悪」を呼び込む!★★

 

 この“存在意義”に気づけるかどうかは、さて、何が作用しているのかを考えてみましょう。

 先々週のこの紙面で、法然上人親鸞上人が説いた、人間の根柢に宿る“業縁”の正体が、現代科学の心理学実験によって明かされたと言っても過言ではないと言いましたね。

 簡単に復習しますと、浄土宗の教えでは、我々人間が避けることの出来ない“業縁”が我々の宿命や運命を決定している。“”とは「前世因縁による今世の性質」、そして“”とは「その性質の作用による選択肢と優先順位で生じた人や物との“出逢い”」です。このような力が、善しにつけ悪しきにつけ、目に見えない形で我々に降りかかってきていると法然・親鸞師弟は気付いたのです。

 なぜ、彼らはこのような発想を得、また「この世は仮の世(浮世)で、死は往生」と考え、あの世こそ本物の世界“浄土”と感じ、考えたのでしょうか。

 ここからは私見ですが、ふたりの聖者が生きていた時代は、今のように医学も未発達で、巷には定期的と言って良いほど疫病が流行り、その上、社会制度も治世を行う側には都合良く貧困層には薄情なもので、尚且つ、頻繁に「地震、雷、火事、親父」というれ唄が流行るくらい、天変地異が起こり、ちょっとした河川の氾濫でも、多くの死傷者が出る揺籃の時代でした。まさに、それが当たり前と言えばそれまでですが、この世に生を受けること……それは、須く“苦”を意味していたのです。

 “苦”があると、その反面には、その苦から逃れようとする「安易な智恵」が必然的に湧いてくるのもまた人間です。「安易な智恵」とは、簡単に言うと“悪事”です。しかし、人間は不思議な生き物で、自分が悪事を働いたとしても、その原因が自分の性質から生まれたものである……つまり、「自分が悪い!」とは、思いません。そこで、自分ではないことの証明をするために、“外界”の所為にしたのです。これは、現在もあまり変わっていないように思います。

 例えば、阪神大震災の時に目撃しましたが、地震によってコンビニ配送の車が国道43号線で横倒しになり、水や茶、その他食料品が道路上に散乱していました。お昼くらいまではそのままの状態でしたが、昼くらいになって報道機関が、食料や水が不足していることを報じると、瞬く間に散乱した食品や飲料は綺麗になくなっておりました。

 近所のおばさんが、そのペットボトルを持っているので、「それどうしたの?」と尋ねると、「朝から国道で車が横転していて、商品が散乱していたので片付けてきた!」と言うじゃありませんか。

 正に、“削除・歪曲・一般化”……自分を正当化するための常套手段で、全ての原因は“外界に有り”と正当化していました

 

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/