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8.特別編 人間性溢れる経営とは何か~現代日本に蔓延する閉塞感を打破する鍵~ M&Uスクール学長:梅谷忠洋

 そして、列車はいまや、明らかに、かなり大きな停車場にすべりこみ始めた。貨車の中で不安に待っている人々の群れの中から突然一つの叫びが上がった。「ここに立て札がある……アウシュビッツだ!」各人は、この瞬間、どんなに心臓が停まるかを感ぜざるを得なかった。アウシュビッツは一つの概念だった。すなわち、はっきりと分からないけれども、しかし、それだけに一層恐ろしいガスかまど、火葬場、集団殺害などの観念の総体なのだった!

 これは、ウィーン在住のユダヤ人医師、そして敬虔なユダヤ教徒、ヴィクトール・エミール・フランクルの著作「夜と霧」の中の、アウシュビッツの停車場に貨車が到着した場面です。アウシュビッツ=ビルケナウ絶滅収容所は、負の世界遺産としてユネスコに登録されている人間の所業の最も残忍な形として、そして、二度と過ちを繰り返さないための追悼の場として、解放当時の姿のまま博物館の形で保存されています。

 私は大学時代から、聖書の主人公であり、世界の科学や哲学をリードしてきたユダヤ人が、なぜ、あのようなホロコーストの憂き目に遭うのか、また、当時も芸術や医学を司る立場にある優秀なドイツ人が、どうしてヒットラーの台頭を許し、そのゲルマン民族優越思想の下、ユダヤ人ジェノサイド(ある人種・民族を、計画的に絶滅させようとすること。集団殺戮)に及んだのか、その為の殺人工場は何を物語るのか、を考え続けてきました。
 そして現在、文明が極度に発達し豊かな生活を送っているはずの我が国日本も、なぜか、どこか、満足感のない陰鬱な空気が漂っているのを考えるにつれ、政治経済という大きな単位から会社家庭の身近なところに至るまで、見えない溝のようなモノが横たわっているように感じます。そして、この閉塞感は、もしかしたらあの頃と心情的に酷似しているのではないかと思い始めたのです。そこで有志と共に、アウシュビッツの空気に実際に触れれば、これからの我々の生きて行く姿勢、また、子孫に正しい社会感性を伝えられる何かが得られるのではと考え、勇気を振り絞って彼の地を視察して参りました。

 

ドイツ人とユダヤ人、その違いは……

 「今度、エリカの花が咲く頃にはベルリンに帰るから、その時は、君の手作りのサンドイッチを食べながら、僕はハイネの詩を読んであげる。早く逢いたいよ。Ich(イヒ) liebe(リーベ) dich(ディヒ).」
 これは、アウシュビッツに配属された若いナチス親衛隊将校のラブレターです。こんなロマンティストが、なぜ、あのような惨(むご)たらしい殺戮を繰り広げられたのでしょうか。
 我々は教科書や歴史書から、ドイツ人が加害者でユダヤ人は被害者という単純な認識で歴史の一コマとして片付けてきましたが、現地に佇(たたず)んでその要因を冷静に模索すると、そこには大きな問題があったことに気付きます。また、その事象は、私たち現代日本に住まう人間にもピッタリと当て嵌まると感じました。
 ドイツ人ユダヤ人。二者とも優秀な民族なのに、その決定的な違いは、国土を持っているか持たないかです。国を護るとは、簡単に言えばその防衛圏である国土と国民を護ることで、その為には秀逸な指導者の下に結束することが肝要です。ドイツの歴史に於いて、絶え間ない隣国との紛争がその重要性を認知させ、国民は従順にそれを受け入れる性質が育まれてゆきました。そして、ヒットラーもそのような国民性から選挙によって選出されたのです。
 一方、ユダヤ人旧約聖書「出エジプト記」にあるように、偉大な指導者モーゼによって奴隷から解放されますが、その後、民衆の気の緩みから国は四分五裂し国土を持たない民族になります。こうなると頼れるのは、宗教です。しかし、宗教は凡人には信じ難い、目に見えない縁の世界であるため、現代日本も同様に、信仰厚い人々と全くの無信心の者とに分れ、特に無信心の者たちは、自分と自分に同調する者や、金品を糧としなければ生きて行けなかったため、他人(よそ)の国で亡者的行動に出る者も大勢いました。そして、ユダヤ人と聞くと“厄介者”の烙印を押す風潮が世界的に出来ていったのです。
 ユダヤ教徒は礼儀正しく仁愛に長けた人達が多いのですが、その他のユダヤ人は、生きるためなら礼節など何処吹く風、そこに他民族との協調体制は必然的に欠如してゆきました。また、頼りになるモノは金品である故、利己的になりがちで、ここに、世間に悪い兆候が現れるとユダヤ人の企(たくら)みと決めつける“ユダヤ陰謀論”ができあがり、「それならば絶滅してしまえ!」と炎上の嵐が吹き荒れ、それがアウシュビッツに繋がっていったのです。

 

文化的冬眠

 アウシュビッツの施設を見て、最も恐ろしかったのは、その残酷な殺人工場を円滑に稼働させる為に、巧妙な“情動のシステム”の操作が為されていたことです。先にも述べたように、ドイツ人は愛の心を持った優秀な民族です。そして、リーダーには従順に服従する国民性も持っています。しかし、いくら服従心が強いといっても、毎日毎日、何百人もの人間をガス室で殺害し、その遺体から貴金属や衣服などをはぎ取って分別し、火葬するという行為を繰り返したら、必ず精神的におかしくなってしまうことでしょう。
 フランクル「夜と霧」には、ドイツ親衛隊の仕事は、貨車から降ろされたユダヤ人達を、働ける者(左)とそうでない者(右)に分けるだけで、右は即ガス室行きでした。そして、そこでも親衛隊は天井穴から、ネズミ駆除剤“チクロンB”を投げ入れるだけ……。後の処理は、ユダヤ人の中から選抜した者に、豊富な食べ物と引き替えに働かせたのです。従って、彼らドイツ人は凄惨な現場をあまり見ることがなくて済みました。
 そして、そんな中から、腕っ節が強く感情的にも非情でナチスに従順なユダヤ人を選んで、囚人達を管理させたのです。彼らを“カポ”といい、ユダヤ人(カポ)が、ユダヤ人(囚人)を統括するという、悍(おぞ)ましいシステムを作り上げました。

 強制収容所は、過重労働、飢餓、拷問、人体実験、伝染病などが蔓延(はびこ)っている「この世の果て」でした。そんなところでは、人間は外界や他人のことに関して、殆どが「無感動」「無感覚」「無関心」になりました。そして、あまりに悲惨で受け入れがたい状況を生き抜いてゆくために、いちいち驚かない、嘆かない、怒らない、悲しまないという防衛策を徐々に身につけてゆきました。出来るだけ心の揺れを少なくして、失望したり傷ついたりしないようにすることが、収容所を生き抜くための最良の方法であると修得していったのです。
 カポは、唯々、夢も希望もない無目的な生存欲に駆られ、暴力で同胞を統括し、“明日”に命を繋いだのです。このような生死が常に隣り合わせの究極の環境下では、人間の理性など木っ端微塵に砕け散って自己本位に陥り、他人はゴキブリかドブネズミのように見え、人格など全く感じなくなってゆきます。フランクルは、このような状態に陥ることを「文化的冬眠に陥った」と言っています。

 

生死の分水嶺

 フランクルは、「夜と霧」の中で、強制収容所で「生」「死」を分けた大きな要因は、「未来に対して希望を持ち得たか否か」であったと喝破しています。それを示すエピソードに、
 1944年の12月のこと。クリスマスから新年にかけて、収容所内でそれまでになかった数の死者が出ました。理由は、過酷な労働でも、飢餓でも、伝染病でもありません。それは、誰かが「クリスマスには休暇が出て、家に帰ることが出来るらしい」と言ったのが切っ掛けで、囚人達の間に素朴な思い込みが数ヶ月前から広がりました。しかし、その期待が見事に裏切られたことで、多くの死者が出たのです。クリスマスに何も起きなかったことで、多くの囚人は落胆し、力尽きて倒れていったのです。
 人間はどこまでも「時間的存在」であること!従って、未来に希望を持つことが、精神的な支えになっているかを示しているエピソードです。
 反対に、過酷極まりない収容所で、生きながらえた人とはどんな人だったのでしょうか。その中の一人フランクルは、自分の学説の原稿修復を行っていました。収容所に入ったときに奪われた原稿を忘れないうちに復元しようとしたのです。強制収容所という同じ状況下で、ある人は「死」に向かい、ある人は「生」に向かう……それは、自分の未来に希望を抱くことが出来るか否か……それが、“生死の分水嶺”だったのです。f:id:muschool:20171009190058p:plain
 日本人が、世界から見て「東洋のユダヤ人」と言われるのは、真のリーダー不在、礼節や協力体制の欠如、個人主義の蔓延、そして、“カポ”のような中小企業の社長を多く見かけます。彼らの多くは夢も希望も持たず、唯々、生存欲のみで経営し、社員の人格など無視した超過労働やパワハラは日常茶飯事です。

今こそ、あの忌まわしいアウシュビッツでの出来事、生死の分水嶺を再認識し、「人間性溢れる経営とは何か」を明快に認知することが、現代日本に蔓延する閉塞感を打破する鍵であると、私はポーランドの地で感じました。

M&U SCHOOL学長 梅谷忠洋

 

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