M&Uスクール

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今週の喝 第650号(2017.10.2~2017.10.8)この世は全て催眠だ(393)〜私たち人間には、残酷性が宿っている〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(393
私たち人間には、残酷性が宿っている 

  私は未だに、アウシュビッツ強制収容所を訪れた記憶が冷めやりません。ほんの70数年前に厳然と存在していた“この世の地獄”。そこで行われていたことを分析すると、尋常ではあのような残虐な行為に出ることは人間として不可能に思われるのですが、ある環境下に置かれたら、人間は平然とやってのける現実があります
 私が子供の頃、学校で夏休みの宿題というと「工作」と「昆虫採集」が定番でした。町の文房具屋には昆虫採集セットなるものがあり、その中身は、先ず虫を殺すための赤い液体の薬品があり、その横の透明の薬品は防腐剤で、捕らえた虫にそれらを注射し、さも生きているように整えて、それを脱脂綿を敷き詰めた箱にピンで標本状に美しく並べてゆくのです。
 私は、奈良県の榛原(はいばら)に父方の田舎があったので、いつも、オニヤンマ、カブトムシ、オオクワガタなど、今では百貨店でしかお目に掛かれないような虫をたくさん捕らえて、学校で表彰されたこともありました。そんな経緯から、高校でも理科の「生物」が好きになり、心臓が動いている状態でを解剖したり、トノサマガエルの内臓標本を作ったりしたものですから、担任の上田智彦先生に、「君はメスの使い方が上手いから、将来医学系に進んではどうか」と言われたこともありました。
 今では、コガネムシを触ることも、カエルを捕まえることも出来ません。何が変わったのでしょうか……。
 子供の頃は、昆虫採集や魚、蛙の解剖を嬉々としてしていた私自身の変化は、今もハッキリと記憶にあります。
 それは、高校3年生の時に、アンパンマンの作者として超有名になる、やなせたかし氏の作詞で、「夜明けの歌」の作曲者いずみたく氏の作曲で手のひらを太陽に」の吹奏楽とコーラスのために編曲を依頼されたのが切っ掛けでした

 

★★人の心の基準は、何……?★★

  ♪ぼくらはみんな生きている 生きているから歌うんだ
 ぼくらはみんな生きている 生きているからかなしいんだ  
  手のひらを太陽にすかしてみれば まっかに流れるぼくの血潮
  ミミズだってオケラだって アメンボだって
  みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ

 この詞を、あの軽快なメロディーに乗せて吹奏楽の伴奏で合唱団が歌うのを聴いたとき、私は多くのミミズを捕まえて魚のエサにし、オケラやアメンボを面白半分に足をちぎって遊んだ子供の頃が走馬燈のように脳裏を過ぎ、自分がミミズやオケラ、またアメンボだったらどんなに苦しいことだったことかと考え、「みんな、みんな生きている」という“生”への目覚めが起きたのです。そして、この世に同時期に生きていること自体が「友だち」なんだという認識がホツホツと心に湧いてきたのです。
 小学生の時の昆虫採集、高校一年で体験した鮒の解剖……それらを平然とやってのけた自分、そして、宿題や授業での課題を嬉々としてこなしていた自分と違う自分がそこに居り、心の混乱すら覚えました。今でこそ、キリストの教えの根幹は、「して欲しいことを相手にする」という“黄金律”の思想を普通に感じ取ることが出来ますが、あの高校三年の初夏の体験は、子供の時よりしばしば頭を過ぎった
 「自分もいつかは死ぬときが来る。その死後の世界は、どのようになっているのか。あるのか?ないのか?今一緒にいる親しい人達とはどうなるのか?宗教が警鐘を鳴らすように、罰が当たるのか?」
といった考えと共に、自分の心が恐怖と不安によって押しつぶされそうになったのを思い起こします。
 そして、成長するにつれ世界各地で実際に起きているホロコースト(大虐殺)やジェノサイド(ある人種・民族を、計画的に絶滅させようとすること)の現実を見るに付け、私自身、昆虫すら何らかの意味をもってこの世に生きて来ているのに、容易くその生命を奪う感覚はどのような思考状態から生まれるのかと思い巡らさずには居られなくなったのです。
 それが契機になって、私はナチス・ドイツの台頭、ユダヤ人迫害に至るヨーロッパの歴史的背景などを徹底的に調べ出しました。
 私は、現在、虫けらとても安易に殺すことの出来ないナーバスな感覚になりましたが、それでも、蚊や蠅には無意識で殺虫剤を蒔いて殺しています。則ち、鮒や蛙には出来なくとも、自分に危害を加える害虫には罪悪感なく出来るのですから、私が美しい心になったなどとは、全く思っていませんし、むしろ、自分の食べ物を汚す蠅は居ない方が良いし、痒みをもたらす蚊も“敵”なのです。言い換えれば、「敵」だと感じ、「汚い」と思ったならば、我々凡人はそこに“生命の尊厳”など微塵も感じない感覚になるのです。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/