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今週の喝 第649号(2017.09.25~2017.10.1)この世は全て催眠だ(392)〜 単純な基準による判定は、人間性を破壊する!?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(389
単純な基準による判定は、人間性を破壊する!?

 
  アウシュビッツ強制収容所では、ユダヤ人を含む囚人を統括する、同じユダヤ人「カポ」の存在があり、そこに人間の生存欲を絡めた見事なシステムが作られておりました
 彼らは、同胞の人間(ユダヤ人)を暴力で統括し、その見返りに豊富な食料と権限をドイツ親衛隊より与えられ、任務を遂行する事で絶滅収容所に於いて“明日”に生命を繋いだのです。
 明日と言っても、未来性や希望があるものではなく、ただ無目的に生存欲だけを刺激され、ドイツ親衛隊の命令をキッチリと遂行すれば生命が保証され、出来なければ彼らもまたガス室で抹殺される運命にありました。
 このような生死が隣り合わせの究極の環境下では、人の理性は木っ端微塵に砕かれ、感情のみになってしまいます。それは、自己本位に陥り、他人はゴキブリかドブネズミのように見え、人格を察知することなど出来ません。
 さて、このような究極の環境に置かれなくても、現代の秀才達も、この「カポ」と同じ感性になっているように思えます。
 それは、人間の優劣を単純な基準で判定区別して行くと、このような思考状態に陥るのです
 強制収容所での生存条件は、血色が良く、体力的に勝り、重労働に耐えられるかどうかという単純な基準で、親衛隊の医師が選別してゆき、左側に行くよう指示された者は、即座にガス室行き、右側は粗末な食事を与えられ死ぬまで働かされる運命が待っていました。それでも、その場を生きながらえた者は幸運と捉えたのでしょう。
 現在の秀才達も、子供の時の判定基準は単純に学業成績のみです。このような単純な査定が繰り返されると、社会に於いて立派な業績を残そうという観念は薄らいで、減点されないようにそつなくやろうという感性になってしまいます。

 

★★誰をも信じられない社会が出来上がった!★★

 スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」にも描かれているように、強制収容所内では、目立つことは死を意味することが往々にしてあるため、隣人が突然射殺されても、感情を出さず淡々と歩く姿が描かれていました。
 音楽大学の卒業演奏会でも、情熱的な特異な演奏は賛否の対象になるため、テクニック中心のサーカス芸のような、誰にも批判をされない演奏が多いように思います。それは「上手い!」とは感じても「凄い!」とは思いません。
 また、会社に於いても同様に、ミスをする人間は揶揄しやすいので目立ちます。特に、大きな規模の会社は社員同士の同族意識が必然的に薄くなりますから、ミスを犯した者の心情など考えずに引きずり下ろさんばかりに攻撃性を発揮します。これは、最近の政治の世界でも同じ現象が起こっています。一人の政治家の不倫疑惑が持ち上がると、それのみを指摘攻撃し、以前の善行や功績は全く無視して、まさに「極悪非道」のレッテルを貼って、その分野での生命を絶って手柄にします。
 このような風潮の中で生きて行くには、単純な判定基準に沿った行動や学習をし、賛否両論の対象になるような情緒的振る舞いは差し控えるのが、波風を立てない第一義となりますから、人間はドンドン“小粒”になってゆき、世の中はせせこましい住みにくい環境になります
 そして、人間は隣人との礼節を忘れ、「己の将来の事だけに終始する狭量な心」を育むため、いつも周囲の人間に対して恐怖心が湧き、誰かが自分を陥れようとしているのではないだろうかと猜(さい)疑(ぎ)心(しん)に苛まれます。この現状は、魔女狩りの時代のヨーロッパや、ナチス統治下のドイツ、ポルポト(クメール・ルージュ)支配下のカンボジア、そして、現代では隣国の北朝鮮で功を奏している密告社会と同じ状況です。それどころか、現在の日本でも、政治家が自分の派閥集会で極端な例を挙げただけで、その中の誰かが報道機関やインターネットに知らせ、炎上の嵐が吹き上がります。そこには、協力態勢など全くなく、隣人総てが敵ではないかというような誰も信じることの出来ない孤独な世界が広がってきます。
 そうなれば、信じられるのは“自分自身”と自分の“財産”のみとなります。そして、都合の良いことに現在の日本は、自由主義という名の下に極度に発達した経済大国です。このような状況下では、頼れるモノは隣人ではなく、“金”そのものです。欲望は何の勉強をしなくても、自然に湧き上がってくる魔物ですから、そこに自己本位の感情が優位に立ち、理性的な融和性はなりを潜めます。このようにして個人主義という名の利己主義主体の社会が完成するのです
 これは、アウシュビッツ絶滅収容所建設前夜と酷似していると私は考えます。

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/