M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第648号(2017.9.18~2017.9.24)この世は全て催眠だ(391)〜 アウシュヴィッツに行ってきました 〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(389
アウシュヴィッツに行ってきました 

  私は今、この文章を日本から遠く離れたポーランドの京都と言われるクラクフのホテルで書いています。ここに来た目的は、人類史上、類を見ないホロコースト(大虐殺)が行われた場所で、ナチスドイツが絶滅収容所として作り、今では世界遺産に登録されている、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所博物館を視察するためです。

 

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 私たち現代人は、先週もこのコラムでも書きましたが、何事をやるにも真剣になりきれないことが多くあります。「感動と笑顔」という人間本来の感情ですら、そのように振る舞えば、自分の脳回路に感動から生まれる新たなる情報回路が生まれると伝えますと、「そのようにしておけば良いのですね」と心無しの上辺だけで処理しようとする人間が多く出現してくる始末です。

 先般、広島の若い人(?といっても40才過ぎ)に、「この町は72年前、死屍累々たる惨状をもたらした原子爆弾被爆の町である実感は有りますか?」と尋ねると、正直に「歴史では習ったけれど、実感はまるで感じられない」との答えです。

 これは、東京の両国にある関東大震災と東京大空襲の慰霊碑の前にいる人達に尋ねても同じ回答でした。

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の格言を思い起こすまでもなく、人間は、実際の被害に遭った人達ですら、その記憶や実感を風化させていくのですから、それらの大厄災を後世に伝え、二度と過ちを繰り返さないためには為す術がないのでしょうか。まさに、「正常性バイアス」はこのような人間の情動の中から生まれる“避けられない感性”なのかも知れません。

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 私たちが、2日間に渡って二つの絶滅収容所を見学して思ったことですが、私たちも含めて、そこはまるで銀座のホコ天並みの人の多さ!これも、善意に考えればそれだけ感心を集めているのか、悪意に取ると物見遊山なのか分かりません。私たちはそこで亡くなられた方々の事も念頭において、キッチリとした服装で出かけ、死の壁の前では献花してきましたが、多くの人は超ラフな海外旅行スタイルの出で立ちに、私はこの博物館以上に恐ろしさを感じました。

 

 ★★今一度、人間の尊厳を考えよう!★★

 

 日本人ガイドの中谷剛さんも、

 「ドイツ人のような当時としても優秀な国民が、何故、ヒットラーの台頭を許し、その民族優越思想の下、ユダヤ人の大量虐殺に至ったのか?また、このような殺人工場の出現は何を物語るのか?一概には語れない!!」

と感無量に虚空を見つめ、解説していたのが印象的でした。

 私が最も心に引っかかったのは、ユダヤ人達を管理監督していた「カポ」と言う人間の存在でした。彼らは、収容所を守るナチス親衛隊に選ばれたユダヤ人達で、豊富な食料と厳しい冬(-20)には暖を与えられ、囚人達を統括しておりました。

 同じユダヤ人(カポ)が、ユダヤ人(囚人)を暴力的に統括する図式……こそには、我々M&U SCHOOLが研究する情動のシステム……それも、最も原初的な人間の生存欲を絡めた見事なシステムがありました

 親衛隊の仕事は、このカポ達に囚人管理をさせるだけで、彼らをガス室に連行するのも、その遺体処理をするのも、またその遺体から金や宝石などの貴金属を仕分けするのも全てユダヤ人にやらせるようにしていたため、彼ら繊細なドイツ人がユダヤ人の悲惨な結末を見ることはほとんどありません。

 要するに、人間の潜在意識の「情動(欲望)のシステム」を活用して、ユダヤの囚人達の人間性を壊してしまい、その行動に劣等民族の証を見いだして、そのこと自体をユダヤ人達にフィードバックしていったのです。

 中には、ユダヤ教やキリスト教を頑なに信じ、その教えのまま生涯を全うした人や、そこにヴィクトール・E・フランクル(「夜と霧」の作者)のように神の如く生還した人もいましたが、大半のユダヤ人は錯乱の中で殺されていきました

 何はともあれ、失礼ながら私は、このユダヤ人「カポ」の存在が現代日本の社長とオーバーラップして仕方がありません

 それは只、無目的に自己の享楽と生存を望み、同じ人間である従業員を搾取の対象としてしか考えず、時には猫撫で声で「同じ会社の構成員ではないか!」と、ただモチベーションを上げるために心のない言葉でチューニングしている。私は民主主義を謳う現代日本において、Companyほど独裁的、独善的な組織はないと思います。ですから、社員もこのユダヤの囚人達と同様に、「カポ」である社長に屈して、唯々自己の無目的の生存のみに終始し、そこに語られる美しい愛社精神など机上の空論に過ぎないと感じます。

 超失礼に申しますと、ドイツ人親衛隊達が日本の大会社の社員と喩えるならば、中小企業の社長は「カポ」に成り下がり、そして、その下にいる社員は……! 

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/

  

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