M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第647号  (2017.09.11~2017.09.17)

 

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!この世は全て催眠だ390

 

             頭脳明晰とは記憶力が素晴らしいこと!?
                                 
 
  この間、この紙面を欠かさず読んでいるという方と親しく話す機会がありました。その方は、至極聡明で私の書くこのコラムをしっかりと理解して、どんな質問にも優等生の回答を下さいます。例えば
 「潜在意識を大活用するために、我々が訓練しなければならない三大要素は……?」
と、尋ねると、即座に   「呼吸・集中・イメージ」
と、早押しクイズ並みに即答してくれます。
 「あなたは、すこぶる頭脳明晰ですね。感心です!」
と、問いかけると、
 「いえ、自分はやはり一度きりのこの世で、満足感・達成感・充実感の三拍子揃った“成功”を手に入れたいだけです」
と、これ又明快な答え……。そんな彼が、
 「先週の“喝”に書いてあった、感動回路を作る方法は、《笑顔と感動》とありましたが、いつも笑顔でいれば良いのですよね。そして、何事にも感動をもって迎えれば“感動回路”は自分の中で形成されるのですね」
と、念を押してきます。
 「ムムム……(>_<)。この方は、熱心に私の提唱することを勉強しているようだけど、何かが違う!」
そう、彼は彼自身の頭脳に記憶した勉強の内容(今回は、感動と笑顔)を、形式的な実践……例えば、笑ってみせる、感動してみる、といった自分自身の意志を伴わないで(失礼承知で言うと)、上辺で情報処理しているので、ここに彼の心が動いた形跡はありません。それは、数名のグループで、一人がギャグを言うと、どこにも面白さを感じないにも関わらず、一緒になって笑っている、そんな、社会迎合型の行動、強いて言えば“演技”をして合わせているのです。いやはや、頭脳で処理して、心が伴っていないのです

 

★★学校の判定基準……何がおかしいのか?!★★

 彼のこれらの行動や彼の生い立ちから、その思考パターンを「兆候明察」してみました。
 彼の両親は、有名国立大学出の英才で、彼もその両親の薫陶を受けて、よく勉強が出来た秀才型です。実は、この秀才型の欠点が彼には如実に出ているのです。
 現代社会は、義務教育に代表されるように、学校の試験の成績で優劣が決められ、その上に成績優秀な人間は(学校では露骨に言いませんが)、「頭が良い」とされています。そして、家庭(父母)も学校の成績を見て、我が子の頭脳が優秀か否かを判断し、クラスメート達の間での優劣を親たちが意識して、教育ママ的形相で子供達に勉強を強要します。
 私は、この教育体制と教育結果による評価が、本当に子供達の頭脳の程度を表しているのかどうかに大いに疑問を持ったのです
 つまり、成績優秀な子が頭脳優秀とされている現在の教育評価は正しいかどうか?ということです。確かに、東大や京大に合格した人達を見ていると、事象に対する論理構成や、物事の脈絡、記憶や計算には、絶大な能力を発揮しています。また、私の世界である音楽に関しても、東京芸大はじめ有名音大出身者は、そつのない演奏をして、誰にも否を言わせません。
 もって回った言い方は止めにして、端的に批判覚悟で申しますと、優秀な大学の学生は何か理論臭くて、感性や行動という身体を張った訴えかけに欠けるように思います。また、音楽学校の学生も、上手な演奏をするのですが、それで“胸を打つ”という感動的訴えは少ないですね。
 ショパンコンクールなど世界的に有名な音楽コンテストを聴いても、テクニックの優劣は分かるのですが、今一、そこに感動や情熱は伝わってきません。音楽大学の卒業演奏会(卒演)は、成績優秀な学生に許された誉れのコンサートですが、演奏する者は、“音を間違えないように”といったテクニック的緊張ばかりが伝わり、また聞く側(特にコンサートに出られなかった者たち)も、粗探しに終始しているように感じられます。彼らは、音楽が好きで音大に入ったはずなのに、4年経つと音楽の感動は何処へやら……ルサンチマン的(弱者の妬みや嫉み)感覚で、無意識に、学友総てを敵と見なしているような雰囲気で、評論家になってしまっています。
 一つ面白いことに、ポピュラーや演歌など素晴らしいヒット曲を生み出す人達は、そのほとんどが(皆無に近く)音楽学校どころか、楽譜を読めない人たちです。しかし、彼らの奏でる(歌う)音楽は、我々の心に深く浸透し、多くのファンを魅了するのです。
 一般の大学に於いても、成績優秀な人達が毎年輩出されているはずなのに、例えば、景気回復が中々為されなかったり、悲惨な戦争を回避できなかったりと、学校で為される判定基準とは何か違う要素によって、この世界は動いているように思います。さて、それはどのような事で、何故、学校の判定基準では推し量れないのでしょうか?

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/