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第628号(2017.05.01~2017.05.07)この世は全て催眠だ(371)〜「名誉心」は前時代的なものなのか?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(371)
「名誉心」は前時代的なものなのか? 

 戦争が起こる三大原因(利益、恐怖、名誉)についてお話ししております。この三つの原因を助長するのが、モチベーション三原則(憤怒、欲求、憧憬)です。
 この中で、「名誉」などというものは前時代的で、そんなことで命を掛けるなどと言う人間はいないように我々日本人は思いがちですが、これこそ古い言い回しをすると、「マッカーサーの陰謀」に日本人が填まったのです。もっと正確に言いますと、愛国心溢れる日本人が、帝国主義による侵略から自国を守る為に、命を賭して立ちはだかった原因をアメリカが調べたところ、その根本に武士道精神が厳然と生きていたことに気付いたのです。
 武士道を簡単に解析すると、「名誉心」と「廉恥心」によって構築された精神です。その精神は日本独自の“封建制”を育み、そこに欧州や中国には見られない日本固有の武士社会が生まれました。
 欧州や中国の封建制度は、どちらかという絶対主義の下に臣下が隷属していたものがほとんどですが、日本のそれは、君主に対して自分自身の名誉と、そして、決して恥じることのない生き様を示すことで、信(信頼と信用)を勝ち得たところに成り立った忠誠心で主従が結ばれておりました。
 そして、明治維新後は、その忠誠心が武士だけではなく、国民皆兵の制度に取り入れられ、全ての日本人が憧れた武士と同じ心意気に教育されていったのです。それは明治15年に睦仁天皇自ら発布された軍人勅(ちよく)諭(ゆ)に明快に示されています。
 現代人の多くが古いと思う「名誉心」は、果たして現在の日本には存在しないのかというと、そうではありません。警察官が悪いことをしている人間を発見すると、それがたとえ非番の日であっても、瞬発的にその事件に挑んでゆきます。また、消防士も火の手を見ると、無意識に消火活動に態勢をシフトし、救急隊員は病人やけが人を見ると、その人間が身内でなくても必死で救おうと努力します。これらは、みな訓練のたまもので、危機的事象を見ると自然に反応するように教育された結果です。つまり、名誉心は前時代的なものではなくて、ただ単にその教育訓練が為されてこなかっただけなのです。

★★「格好」vs「恰好」★★

 武士道精神の二つ目は“廉(れん)恥(ち)心”です。廉恥とは「恥を知る心」で、羞恥心(恥ずかしがる心)の真反対の精神です。つまり、己の失敗を恥ずかしがって隠蔽や嘘で誤魔化そうとする羞恥心ではなく、失敗の憂き目に遭ったとき、その所業を恥じて「二度と失敗しないぞ!」と心引き締める精神です。この“廉恥”という言葉は、現代ほとんど使う人はいませんが、廉恥心がなくなったという意味の“破廉恥”だけ、すこし前の漫画「ハレンチ学園」などに厳然と残っています。
 武士は、この廉恥心を座右の銘として、人前で恥をかくことを己自身に戒めました。こんな話が残っています。
 ある武士が数人の仲間と談笑中、迂闊にも放屁してしまいました。その音を聞いていた仲間の一人が冗談めかして
 「御主、今放屁いたしたな?ハハハ……!」
と揶揄した次の瞬間、当の本人はその行為を恥じて、舌を噛みきって自害したのです。
 何もそこまでしなくても……と思うのは、破廉恥な現代人の考えです。彼の時代の人は、こんな些細なことでも自分の名誉に照らし合わせて恥と思い、自ら命を絶ったのです。
 陸軍大将の東条英機が記した“戦陣訓”に、「生きて虜囚の辱めを受けず!」とあるのも、こういった廉恥心の考えが頂点に達し、謳われたのでしょう。
 このように、武士が最も大切にしてきた精神である「名誉心」と「廉恥心」は、やがて武士の行動美学である自制心」と「美意識」をバックボーンに、“嘘”をつくことのみすぼらしさ、不名誉から「武士に二言無し!」という格言に集約され、誠実さから成る“格好良さ”こそ武士の鑑(かがみ)とされるようになりました。
 武士道とは……?この質問に端的に答えるならば、私は「かっこうよさ」だと思います。「かっこう」という漢字は二種類あります。
 一つ目は“格好”です。「格」は訓読みで「格(ただ)す」と読み、格好で「格(ただ)すが好し」となり、自分自身に間違ったことがあれば、意地を張らず、素直に“ただす”心を持ち合わせている人間のことです。このような人は、精錬で爽やかな人間性を醸し出す故、周りの人間から愛され慕われます。
 二つ目は、“恰好”です。「恰」は訓読みで「恰(あたか)も」と読み、恰好で「恰(あたか)も好し」となります。今流の言い方にすれば、バカボンのパパ風と「これで良いのだ!」となります。そう、武士はどのような境遇になろうとも、自分の運命を逍遙として受け入れました。それが喩え、上からの切腹命令であったとしても「これで良いのだ」と自分の運命に対して恭順したのです。

               この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/