M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第622号  (2017.3.20~2017.3.26)

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる潜在意識ってどんなもの? 

 

この世は全て催眠だ(364)

 

“道”の実感こそ、万物生々のエネルギーの発見!

 

 老子が“道(タオ)”と呼んだ万物の理……仏教の般若心経では“空”と表現され、その中身は「無」という漢字が、20個以上出てきてそれこそ「ナイナイ尽くし」です。さらば、道(空)には何がないのかと考察してみると、それは“実態がない”の一言です。

 これがまた我々人間には理解し難いのです。私たちは“実態がない”ものを認知せよと言われること程、難しいことはありません。その代表格が“神”であり、その神を私は“法則”と理解し、その“実態のない”法則の実態をどうすれば証明することが出来るのか研究に入りました。

 そんな折、西宮えびす神社の(故)吉井貞俊宮司より、私に信者の皆さんに講演する機会を頂きました。その講演中に、

 「宮司様は一所懸命にえびす様のお世話をしておられますが、何度くらいえびす様に会われましたか? 私たち凡人は、一度もお目に掛かったことがない故、えびす様の存在を信じることが出来ないのですが……」

と、質問を投げかけたところ、吉井宮司は、

 「私も一度もお目に掛かったことは御座いまへん。けれども、毎日、“えびす様”を感じております」

という、これ又、分かり難い解答が返って参りました。

 “神”は、「実態」ではなく「実感」である……このキーワードを頼りに、「道=空=神=法」というこの世を成り立たせているであろう“万物の理”の「実感」が出来れば、我々人間はもっと謙虚に、もっと礼節豊かに生きることが出来るのではないかと思いました。

 「実態ではなく実感だ」と聞いて、「なるほど!」と安易に分かったような気になると、恐ろしい迷路に迷い込んでしまいかねません。何故なら、それは夜中に瞑目して、静かに心落ち着け、我々の住まう「地球が自転していることを“実感”する」のと同じくらい至難の業だからです。

 

 ★★「真の願い」には礼節をもって当たるべし!★★ 

 般若心経には、「是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法……」とあります。口語では、

 「故に“空”のエネルギー(作用)の中には、この世の実態(色)も、我々人間の感覚や感情(受想行識)も、五感(眼耳鼻舌身)六根(五感に意を加えたもの)も、それら感覚器官によって感じることが出来るもの(色声香味触法)は何もありません」

となり、これ又、その実感は困難さを増すのです。

 一般凡人には難しい「道=空=神=法」の実感……その困難さは、片手間に「実感したいなぁ」というような精神状態では、到底無理なのです。この様な安易な思考状態でいる人間達が“凡人”なのです。

追ってお話し致しますが、M&U SCHOOL創設7年目に、私は「凡人六原則」を発表し、凡人の特性を六箇条にまとめました。その大要は、「凡人は実態のないものを実感できない」ということです。

 従って、“凡人”を脱却しないと、「道=空=神=法」の実感は無いのです。では、どうすれば良いかという方法が“般若心経”には明快に書かれています。それは、このお経のタイトルにもなっている「般若」がその謎を解くキーワードなのです。

 「般若」とは、パーリー語(インドの一般人が使っていた言葉)「パンニャ」の音訳で、身分の高い人達が用いたサンスクリット語では「プラージュニャ」といいます。ここには、一般人(凡人)にも「道=空=神=法」の存在を実感して欲しいという意図が隠されているように私は思います。

 日本で「般若」というと、女性がその心を段々悪化させて最後に怨念を抱え込んで鬼の形相(顔)になった「般若の面」を思い出しますが、それとは何の関係もありません。中国に般若心経がもたらされた時の音訳で、そのまま日本に直輸入されたものですから、区別して下さい。

 “パンニャ、プラージュニャ、般若”……

その真の意味は、「道=空=神=法を実感するための智慧(ちえ)」のことです。“知恵”とは、「我々が知り得た人間界の“知識”を、実生活に対応できる能力」のことで、それが“智慧”となると、これまた「道=空=神=法」の世界の話となり、あらゆる現象の成り立ち(万物の理)を我々人間の実生活への必要性への実感と私は解釈しています。つまり、仏教的に言うと「仏様の心を解り、それに従う精神」のことです。その“般若=智慧”はどうすれば実感できるかというと、それが“波羅密多(はらみた)”です。これも、「パーラミータ」の音訳です。我々に分かり易く訳すと「瞑想」……自分の心にある全ての雑念を取り去り、純なる心が感じ得る「大自然や生命の実相の実感」=「道=空=神=法の実感」なのです。そして、その実感に迫る努力が、“禊(みそ)ぎ”であり“修行”なのです。


この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/