M&Uスクール

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今週の喝 第621号  (2017.3.13~2017.3.19)

この世は全て催眠だ(363)

現状打破は、餓鬼道の走り !?

 真の満足感とは、人間がおのずから持つエネルギーによって、自分自身のあるべき姿を表現することでもたらされます。これを“福”といい、自分の願いが叶った状態なのです。しかし人間は、真の願いを中々持つことが出来ません。“ただの願い”“真の願い”の違いは何か……病気に喩えると、「病気が治って欲しい」というのは、現状脱却の願いであって、病気が治ったあかつきに何をしたいのかという「意志」がありません。人は、病気や人間関係、また経営など、社会での苦しみに見舞われた時、その状態から脱却したいと願います。しかし、その苦境に陥った原因は、その殆どが自分にあることを認識せず、脱却(願い)だけを求めるため、原因を生んだ自分の所業への振り返り(反省)が有りません。反省は原因究明の大切な要素ですから、反省なくしての苦の払拭は、原因を抱えたまま表面的に改善したに過ぎないため、再び同じ間違いをする可能性が大です。
 また、己の心を平常に保てなくて、心のイライラを購買やイメチェンに置き換える癖が付き、やがてそれが本物の願いであるような錯覚に陥って「欲望化」し、我武者羅に物欲を募らせて、それを生活エネルギーにして“亡者道”を歩んでいる人間も多くいます。新車が発表になればすぐに飛びつくような人がいますが、ゲシュタルト的に考察すれば、それは、「新しい物好き」ではなくて「飽き性」なのです。どちらも「欲しい」という感情には変わりありませんが、その目的意識が、己の心の「置き換え」をしているだけ!このように、現状打破を目標にするのが“ただの願い”です。このような人間は、老子の説く「小欲知足」から縁遠く、いくらモチベーションが上がろうとも、満足感は遠のくばかりです。何をやっても満たされない心……これこそ、餓鬼道そのものなのです。

★★「真の願い」には礼節をもって当たるべし!★★
 
 それでは、「真の願い」とは何でしょうか。それは、しっかりとした目的が存在し、自分に対して揺るぎない自負心の元にその願いを完遂させようとする“意志”が存在していることです。そして、その“願い”が叶った時に、法悦の境地に入ることができるのです。そこには随喜する心が在り、あらゆることに感謝し、自分が世間によって、また大宇宙の偉大なるエネルギーによって生かされている実感を伴います。
 ですから、自分に真の願いを持つことの出来る“心”があること自体が「仏性」なのです。従って、“仏”とは「真の願い」であり、それはその人間にとって完全にぶれることのない「理想」そのものです。般若心経の冒頭に「観自在菩薩」とあるのは、自分の中にある仏性を目覚めさせる呼びかけなのです。私の解釈で申しますと、“観”はDiscover、“自在”は文字通りin my Self、“菩薩”はIdeal。ですから、「自分の中に既におわす(住まう)理想的人間」と理解しています。もっと飛躍的な解釈をすると「観自在菩薩」は、潜在意識です。潜在意識は、生命維持装置ですから、全うに生きて行くための智慧(完璧なメカニズム)が存在し、それに気付くことで我々は人生を豊かに生き抜くことが出来る……強いて言えば“快・満足”を覚知しながら人生を送るのです。そして、病気や失敗などの苦しみは、その潜在意識のメカニズムからズレた時に「神」が鳴らす“警鐘”だと解釈しています。従って、「神」とは、大宇宙のメカニズムである「法則」ということになります。そして、それらを運行する“時間”こそ「天」の為業(しわざ)なのです。「天」は“絶対”ですから、その為業(時間)に対して、我々人間は完璧な“相対性”(逆らわない)で対処しなくてはなりません。天に対しての相対性とは、具体的に申しますと、上位概念に対する「礼儀」です。“礼”とは、バランスを執ることですから、天からの恵みに対してのバランスとは、究極的に言えば「尊敬・憧憬」することになりますね。
 そして、その時の心構えが「節度」です。天の運行に日の出や日の入り、春夏秋冬etc.があるように、我々人間は天に対して絶対に対する“相対性”を、「節度」をもって示して行くことこそ私たち人間の知恵であると思います。
 このように、天(=時間)に対して、礼儀と節度(礼節)をきちんと守れば、不思議なことに我々の心から「自信と勇気がモリモリと湧いてきて、恐怖が払拭できる」というお土産が付いていることに気付くでしょう。
 般若心経は、「智慧のお経」といわれますが、その根本内容は、単純化すると「無有恐怖(むうくふ)遠離一切(おんりいつさい)顛倒夢想(てんどうむそう)究極涅槃(くきようねはん)」とあるように、恐怖を感じることがなくなり、出来もしない夢のような考え方が全て心から一掃され、私たち人間の究極の境地(理想)である“涅槃”をGet出来ると言っているからありがたいですね。これは、老子の説く「無為」と同じ境地で在り、催眠法の最終目的である「快」に至る為業なのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/