M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第686号(2018.6.11~6.17)この世は全て催眠だ(427)〜人間みな平等に、試練は与えられる〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(427
人間みな平等に、試練は与えられる

 潜在意識の大活用と運命の所業について、私の体験則(成功や失敗)から成功方程式を導き出し、このコラムでみなさまにお伝えして15年目です。そして、人間の心の動きの源流を辿ると「催眠」という“人間情動のシステム”から起こっていることを理解して貰おうと、週一ではありますが、書き続けております。
 催眠というと、いかがわしい響きが否めませんが、愛も、恋も、ビジネスの成功も、人間の“快”全てが催眠の法則なのです。しかし、法則の用い方に善悪がない故、悪く用いると催眠商法や詐欺となり、善用すると、人生の歓びを湧き出させる素晴らしいリーダーと崇められるのです。
 ですから、催眠のメカニズムをしっかりと理解し、そして、自分のモラルを確立した人間だけが、催眠によって他者に“快”を与えることの出来る人間になるという発見から、「催眠を正しく用いてもらって真の幸福な人生を歩んで欲しい」と思い、31年前にこのM&U SCHOOLを創設致しました。
 そんな中で、私も齢66歳を迎え、肉体的な衰えや自分だけは特別という「正常性バイアス」の中から無理がたたり、今入院中という憂き目の中、このコラムを執筆しています。
 M&U SCHOOL創設以後の31年間には、マエストロの会や立志塾、克己塾、各地のフルーツ研究会(各地のフルーツ特産物の名を冠した勉強会)など、生徒の皆さんからの要望で出来た自主的な勉強会も生まれました。
 しかし、長年月ストッパー的に私の体験則からの論理で自分達の所業を成功方程式通りに修正してきた人の中には、「私は失敗しないのだ」とばかり成功が当たり前と思う“正常性バイアス”に陥る人も多く出てきました。その感覚から、凡人六原則にある「私は正しい」と思い込み、天をも畏れぬ考えに暴走してしまった人も出る始末です。
 そんな中で私・梅谷忠洋の想念は大きく乱れ、「成功は、物質的な歓びではなく、人格的な“快”の中にあるのに……」と焦ることが増えてきました。そして、「なぜ彼らは曲解するのだろうか」とマイナス感性に陥った途端の腰痛入院です。しかも、先日の検査で、「脊髄に膿が溜まっている」との報告です。

 

★★我々人間はみな「彼我一体」であることに気付け★★

 私の胸中は「この事象にもレーゾンデートル(存在理由)がある」と思い、その意味探しの為の踊り場を天が私に、「入院加療=休息」という形で与えて下さったと解釈しています。
 このようになる少し前を振り返ると、自分の思念を生徒の皆さんに伝える速度と、皆さんがそれを理解する速度に悩んでおり、愚痴っぽくなっていたのを大反省しています。まさしく「急(せい)ては事をし損じる」ということわざを自分自身が犯していたのです。
 私自身オーケストラにいたときは、周りの「テンポが遅いな!」と感じても、自分だけ加速せずに、みんなを誘発してからテンポアップに持って行ったことを忘れ、ヒステリックになっていました。愚かです!!
 しかし、最近の授業で、私は「→(やじるし)(心の方向性)は外(他者)に向けること。それが“忘己利他”の観念!」と説いた後、「人の為に何事もやるのではなく、真に自分のことを深く追求して、自分のことだけを追求すれば良い!と一見真逆のことを言うと、その矛盾(本当は真理)を見抜けないでいる人が喧しく意見を交わしています。
 富士山は山梨県側から登ろうと、静岡県側から登ろうと到着するのは、3776㍍の剣が峰です。人は独善や我を有する生き物です。凡人六原則の「私は正しい」から始まるのもそれの証しです。人間が一人前になるとは、自分のことのように他人の傷みを共有できる人格を持つことです。
 独善や我は、それこそ人生失敗の最大要素である“片面固持(偏見)”で全てを推し量ってしまいます。ですから、真剣に“自分だけ”のことを考えると、その論理や心情の先には、必ず人の協力や賛同、またその協力や賛同の裏にはその人間達の情緒が共感と感動で心と身体を揺り動かす必要に気付きます。ですから、私が裏面性を示した問いかけが、“矛盾”と感じた方は、今までの人生で、自分自身のことを真剣に見つめたことが無い方なのかもしれません。
 人は一人では生きてゆけません。その為には「出逢い」という摩訶不思議な現象が必要です。その現象を呼ぶエネルギーの本質は、「類項作用」で、自分の前に現れる人間の性質は、実は自分自身と全く同じなのです。
 今なら傍目八目的に、金正恩とトランプです。それぞれは相手がバカだと思っているようですが、我々から見ると完全に同類ですね。同様に、人との出逢い、物事の解釈、人生の吉凶など、全てが自分から発しているバイブレーションによる類項作用で起こっています。従って、私が得津武史先生や宇宿允人先生、また斯波最誠和尚や我が父郁郎と出逢い、それを継続し、師や父母の亡くなった後も、そのエネルギーが私の心を支配するのは、自分が(生意気ですが)今は亡き師と波動(感性のバイブレーション)で繋がっているからです。これを、「彼我一体」と言います。
 つまり、自分と他人の区別がなくなったとき、端的に言えば、人の苦しみを自分のことのように感じられる自分が出来たとき、彼我一体が体現化されるのです。
 伝教大師が“忘己利他”と説いたのは、自分と他者は互いに潜在意識で通じ合っている……、フロイトの弟子、カール・グスタフ・ユングが提唱した「集合無意識で人間は交信し合っている」ことに気付けといっているのです。

      この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/