M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 636号   (2017.6.26~2017.7.2)

 

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!この世は全て催眠だ 379

 

        「人間の心のエネルギー(心波)は一定?!」
                                 
 
 「ビギナーズ・ラック」について、私の体験談から事象の分析をしてきました。「おもいで酒」のヒットで言えば、作詞、作曲、歌手、プロダクション、そしてレコード会社のいずれも、無心であったと言えます。いや、プロダクションやレコード会社は「無頓着だった」と言えば失礼に当たりますが、およそ小林幸子に、そして楽曲に期待していなかった!と言うのが本当の姿です。何はともあれ、全てのエネルギーが澱まずに集合したことには変わりありません。
 今回の紙面では、この「ビギナーズ・ラック」について科学的?に説明してゆきましょう。科学的と言いましても、未だ検証できない“心のエネルギー”の「仮説」ですので、将来、それを証明する研究家とそのエネルギーを計る測定器の発明を待たなければ成りませんが……!!
 我々の脳は、物事を「感じ」またその感じたことを基にして「考え」を膨らませます。私は一般の人間の持つこの感じるエネルギーや考えるエネルギーは、どんな天才であれ、また凡人であれ“一定である”と仮定して考察しました。
 本来は、世に天才的な働きをする人がいますが、そのような人をじっくり観察すると、一つの事象に特別な能力を発揮する人間は、別の箇所、例えば社会性などでは、どこかが欠けていたりするのをよく見かけます。ですから、突出するところはあっても、その総和は同じではないかと考えたのです。
 特別な人間を想定すると話がややこしくなるし、また「やる気」が失せたりした人間の言い訳にもなりますので、敢えて一般人の生命エネルギー、思考エネルギーや感性エネルギーは一定として話を進めます。そこで、これら三つのエネルギーをまとめて、心の発するバイブレーション=「心波」とし、その総和を「E」として話を進めて行きます。

 

★★「出来の悪い自分」を作れば、やらなくて良い!★★

 私たち人間には、「頭脳」という司令塔があり、その司令塔と身体の各部がいろんな“やり取り”をして、その時点で最も適切な処理を行っています。「その時点」とは、年齢や経験によって培った中での最適性ですので、訓練や学習をした者は、そのようなやり取りがなかったり、気付かなかった者よりも判断は的確です。しかし、「E」(心のエネルギー)に変わりはありません。
 心のエネルギー「E」に差異があるように見える理由(わけ)は、優秀と思われる人間は、自分が得意とする分野に社会性を世間が見いだしている……つまり、世の中にとって重要だと思われる分野にその人間の独自性が発揮され、多くの人間がそれによって恩恵を受けている場合です。私の知る限り、もの凄い才能を一つのことに発揮している人は、案外我々の気付かないところのことができていない事が往々にして見受けられます。
 私なども、音楽を作ったり奏でたりしているときは良いのですが、ホテルの予約をしたり、スマホを使えるようにインストールするといったことは、それが“面倒くさい”と思うようになり、「出来ない!」という理由を付けて、誰かにやって貰おうとします。本当は「出来る」のだとは思いますが、同じ時間を音楽や潜在意識の研究に割きたいという思いが強いので、自分自身に「これは私の性に合わない」とか、「こんな煩雑なことは、私には無理だ」と言って聞かせて、そこから逃れようとします。これは、完璧に自己催眠を掛けている状態です。つまり、「出来ない」のではなくて、「やりたくない」故に、やれない理由を実質的に作り出そうとしているのです。実際には「やらない」のですから、そのことに関する習熟はありません。
 簡単な例を挙げると、音楽に興味のない子供に、無理矢理「縦笛」を吹かせれば、やりたくない理由を「下手くそ」になる事の中で見いだし、練習などしません。そして、実際に下手くそになるので、益々、興味は遠のきます。そんな子供に、縦笛の上手い子の音楽を聴かせると、「才能の差」だと自分に言い聞かせて、耳と心を閉じてしまいます。そして、「出来ない自分」を作るのです。
 そんな子も、自分の興味を惹く事柄であれば、勇猛果敢に挑んでゆきます。このような心の状態を見て古人は、「好きこそ物の上手なれ!」と詠んだのです。ですから、私の見解は、物事が下手なのではなくて、そこに意識が行っていないために、「E」が弱くなります。つまり、自分自身をマイナス感性に追いやることで、「やりたくない物」を「出来ない状態」にするのです。
 そして、次に「E」が弱く見える原因は、「E」を同時に色々な物に用いよう……言い換えれば、一気にいろんな事を完成させようという、横着な心の持ち主です。つまり、“気の多い人間”です。気の多い人間は、あれもこれもと思う故に気が散り(気散)、“集中”が出来ません。
 数学の分数式で示すと分かり易いでしょう。分子「E」に対して、分母(X)が多いほど、数字(エネルギーの量)は小さくなりますね。この(X)を「気散係数」とよびます。
 従って、我々の頭脳は、“良しvs悪し”ではなくて、“集中vs気散”によってその程度が決まるのです。

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/

M&Uスクール開催報告(6/24~25)~物語力はバイブレーションを起こす!~

6月24日-25日は京都心華寺にてM&Uスクール心の科学研究コースが開催されました。
・あなたの本質を根底から変える!
・本物のプラス思考とは?マイナス思考とは?
・あなたが発する「物語力」がバイブレーションを起こし、あなたの周りの人は巻き込まれていく!

というテーマで、二日間じっくりと学びました。

受講したメンバーから感想や、気づきの声が寄せられていますのでご紹介します!

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相手がして欲しいことを相手にすることが黄金律です。
しかし相手が何をして欲しいかわからなければ
何も出来ないしこちらが良かれと思ってしても逆効果だったりします。
相手の真意がわかるためには相手と自分がいかに親密であるかが大切なのです。
相手と親密ならば相手がして欲しいことがよくわかります。
黄金律の実践は相手との人間関係を構築してからと言うことに気づきました。
(河野幹章さん)


今月も多くの大切なことを学びました。
中でも、梅谷学長の「物語力」の重要性についての講義は、
日頃の言動・行動を再度見直す必要を痛感した所です。
まずは、しっかりとした言葉使いで「文章力」を鍛錬し、
相手とのお喋りで「表現力」を養い、また聴く側においては
「理解力」を高め、究極の「想像力」を第二情報系と共に開発すること、

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この総合力で「物語」を自在に構成できるように、
意識して日常を過ごそうと思います。
また今回の講義は、以前学んだイギリスの哲学者
「フランシス・ベーコン」の有名な言葉を彷彿
とさせてくれました。
「読むことは人を豊かにし、話すことは人を機敏にし、
書くことは人を確かにする」

国語力と人間関係は基本中の基本なのですね! (吉岡俊徳さん)


梅谷先生、私達のために2日間ありがとうございます。
また、スクール参加の皆様、2日間お疲れ様でした。
私は昨年3月にスクールを初受講して1年以上が経ちましたが毎月、
自分の誤った固定観念を捨て去るために受講していますが最近、
ふとした時に学びの成果を感じる瞬間があります。

愛とは「相手が一番、自分は二番でも嬉しいと思う心」
と教わっていますが、仕事に置き換えればお客様が一番、自社が二番ですし、
社内においては部下が一番、自分が二番となります。

スクールに通う以前は自分の仕事を優先していましたが、
スクールでの学びを実践しようと、部下の相談事はその場で聞くように変えました。
そうすると、不思議と部下が色んな相談を積極的にしてくれるようになり、

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中にはずっと言えなかった問題・課題を話してくれるのです。
悪い報告ですのできっと部下も話しづらかったでしょう。
しかし、見方を変えれば私が話しづらい雰囲気を作っていたのではないか、
とも思います。私達は「人のせいにしない」ということも学んでいますが、
スクールでの学びは日々の生活において本当に実感することができます。
このように実践的な勉強をしたのは、このスクールが初めてです。
来月のスクールが今からとても楽しみです。来月も宜しくお願い致します。

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来月のM&Uスクールは7/22(土)~23(日)開催です!

来月皆様とお会いできるのを楽しみにしております。

今週の喝 635号   (2017.6.19~2017.6.25)

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!この世は全て催眠だ378

 

     「ビギナーズ・ラックの成因は?」
                                 
 
 ビギナーズ・ラック」……この不思議な現象は、厳然として起きています。ならば、そこに何らかの法則があることは確かでしょう。
 私の人生で、このビギナーズ・ラック現象は、頻繁に起きました。そして、そのほとんどが「思いもよらない……」という無意識の領域で起きたことでした。その最大のものが、演歌「おもいで酒」の大ヒットだったと思います。
 この現象を分析しましょう。先ず、私……作曲という立場ではありましたが、作ったのは24歳の時でした。その時の私は、自分の将来の歩むべき道で、父・郁(いく)郎(お)と絶えず言い争いの毎日でした。父は自分が大きくした(株)ウメタニ(=畳とインテリアの30人程の従業員を抱える店)の次世代を託そうと、私を二代目として育ててきました。しかし、その意識が強すぎたのか、私が傾注する音楽の魅力に徹底して、悪口と嫌味で牽制してきたのです。本当に、悪夢のようなハイティーンを過ごした私は、半ば音楽の道などと言うことは意識にありません。しかし、音楽の持つ独特の雰囲気と魅力には、純粋に惹かれてゆきました。
 そして、紆余曲折の結果、大阪の放送局朝日放送で事業部副部長の高田直和先生と出会います。(この辺りはまた後日)
 高田直和先生は、当時48歳。明治大学出身で在学当時は古賀政男先生の創設したマンドリンクラブのマネージャーをし、その役職のお陰か、古賀先生の作詞するときのスタイルやスタンスを身近で垣間見ることができ、自身も古賀先生に憧れ、良い詞を書きたいと無心に思っていた青春時代を歩まれました。
 そして、そんな思いが潜在意識に透徹したのか、芸能界にほど近い放送業界に就職し、頃合いを見ては趣味と実益を兼ねたという程度に詞を作っており、事業部主催の番組のテーマなどを作詞していたのです。

 

★★全ての人間が無心だった「おもいで酒」★★

 

 そして、歌手の小林幸子さんも、古賀政男先生に見いだされ、「うそつき鴎」というデビュー曲でそこそこの売り上げはしたものの、以後は鳴かず飛ばずの状態が続き“苦節15年”が流行語になったほどの状態でした。
 もちろん、「いつかは紅白」と夢見ていたでしょうが、それは単なる“夢物語”で、心の内実は「私には到底無理な世界!」と、それまでの自分の歌生活の経緯から自信など微塵も無かったようです
 そして、彼女が当時所属したレコード会社のワーナー・パイオニアには、演歌や和風ポップスの担当者は、全国でほんの数名しかいない……言い換えれば、ヒット曲など出る訳がないと初めから諦めていた状態だったのです。
 そして、小林幸子さんが当時所属していた第一プロダクションは、多くのヒット歌手を抱える有名プロダクションで、逆説的に言えば、経営が成り立っているが故に、明日が海のものとも山のものともつかぬ小林幸子は、重荷にも感じない存在だったのです。
 このように書けば、作詞・作曲・レコード会社・プロダクションと総てがマイナス感情の渦が巻いていたといって良い状態ですが、この四者を反対側の視点からの見れば、第一に、小林幸子や楽曲の「おもいで酒」に対して、全く欲得の感性から離れた所から接することができたとも言えるのです。
 先ず、作曲の私ですが、クラシックの世界に我が師・宇宿允人先生に19歳でスカウトされ、20歳から多くのコンサートでソリストとして抜擢されていましたが、所詮、お金には縁の遠い所にありましたので、音楽を作ってお金になるなど全く想念にありませんでした。言い換えれば、それだけ“音楽”に純な態度で臨めたのです。つまり、欲得の世界からは全く無縁の境地で音楽に挑戦していたのです
 そして、作詞の高田直和先生も、これはまた潤沢な給料の放送局に勤めていたため、良い詞を書きたいという思いを、生活に結びつける必要が無かったため、これまた純粋な気持ちで、天才・古賀政男先生から伝授された大衆音楽のパワーを真摯に受け継ぐ境遇にあったのです。
 そして、レコード会社ワーナー・パイオニアですが、アメリカを代表するワーナーブラザースと日本のオーディオメーカー・パイオニアが合弁で作ったポップス系の会社です。その演歌斑に配属された人達の心境を、今、この年(65歳)になって振り返ると、大きく二つの感性に分かれたと思います。一つ目は、主流から外された為の投げやりな心。二つ目は、どこかで一矢報いることができれば、しかし、そんなうまい話はないだろうという諦め感です。これも、逆な視点から見れば、忌憚ない心であったとも、宙ぶらりんであるが故にエネルギーは余りきっていたとも言えます。
 そして、最後に第一プロダクションも、小林幸子に期待していない故に、フランクな態度で彼女に接していたのです。
 この四者の共通項を分析すると、たった一つ「執着がないけれども、音楽には純であった!」のです。つまり、一朝事が起これば“集中”する準備が整っていたともとれるのです。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/

今週の喝 第634号  (2017.6.12~2017.6.18)

 

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!この世は全て催眠だ 377

      

     「ビギナーズ・ラックの不思議」
                                 
 
 私たち人間は、無欲の状態で一つの方向に心が向いたとき、不思議なエネルギー、「ビギナーズ・ラック」(初心者の幸運)が訪れるのをしばしば目にします。
 つまらない例で言うと、今から30数年前、私が初めてある画家の先生に誘われて競馬場で馬券を買ったとき、何と1万円が12万円になったことを思い出します。私の父は厳格で、家訓に「博打はするな!」と第一に掲げておりましたので、見ているだけのお付き合いと思って、足を運んだのですが、その画家の先生が
 「博打もやらんような面白くない芸術家は大成セン。帰れ!」
と、恫喝され、カチンと頭にきた弾みで、その名も“スイート・ロマン”という名の単勝馬券を買ったところ、
 「そんな弱い馬は止めろ!」
と、また命令口調で言われました。こうなると意地の張り合いです。当時1万円は私にとって高額投資でしたが、意地が勝り、これで良いと金を捨てたつもりで馬券を買いました。すると、何とその時本命と穴馬が接触し、騎手が落馬。何と3番人気だったスイート・ロマンが1着になったのです。それからの画家先生は、
 「この笛吹きは博(ばく)才(さい)がある。将来が楽しみだ!」
と、私を大きく持ち上げてくれましたが、それ以降、こんな幸運(ラッキー)が続くはずもないと、本来なら競馬に嵌まるところを 「二度と競馬場に足を運ぶまい」と心に誓いました。
 パチンコも同じ事が起き、初めて入ったところで3千円の投資で3万円をGetし、こちらは電車待ちなどの時などに、味を占めた迄は行きませんでしたが、たまに行きましたが、それ以降は全くダメでした。
 勿論、パチンカーと呼ばれるプロに近い人達もいることは知っていましたが、私のようなずぶの素人が、それも第1回目で一山当てる(大げさですが)のは凄いようです。

 

★★人間だけが、気付きを持っている!?★★

 

 先回、茂木健一郎先生から「おもいで酒」の作曲に要した時間を問われ、短時間(約2分)で作ったことを言うと、
 「その純な心こそ、素晴らしい歌を生む原動力だと思う。何の執着もなかったでしょ
と、お褒めの言葉を頂戴した話をしました。「おもいで酒」は、私にとって演歌という流行歌の作曲、しかもプロの歌手が歌う歌としては第1号でした。さすれば、これもビギナーズ・ラックだったのでしょうか。
 そして、以後邪心に苛まれるのですが、このビギナーズ・ラックの起因を探ってゆくと、インターネットでは、「偶然に過ぎない」とか、「世の人間に与えられた条件は平等」、「その事象のみを強調して伝えたことによるデフォルメ(誇張)!」などと、否定的な見方が多いのです。
 しかし、実際にそのような体験を良しにつけ悪しきにつけ味わった私は、冷静にその頃の自分を分析してみることにしました。
 確かに、世の人間に与えられた世界の条件や事象は、老子が「天地は不仁なり!」と喝破するように、仁(真心)を感じられません。つまり、天や地を司る神(法則)は、我々人間に対して、良い事をしたから良い結果、悪い事をすれば罰(バチ)を当てるというような信賞必罰的発想は、その部分をデフォルメしない限り“世の法則”とは言い難いものがあります。
 世の成り立ち……世界や法則が同じであるのに、私は自分の人生を振り返ってみると、何か知らない内に“幸運”というものに守られていたような感があります。それは何かと考察してゆくと、その昔、ユダヤの六芒星の意味を見いだしたローゼンツヴァイクの論理を借りると、そこに一つの見落としがあることに気付きます。
 彼は、六芒星を正三角形と逆三角形の融合物であることに着眼し、正三角形の三つの頂点を、この世を形作った三要素、神・人間・世界とし、それぞれの関係を逆三角形の三つの頂点に喩えました
 ①神と世界の間で為された業が「創造」
 ②世界と人間の間で為された業が「救済」
 ③神と人間の間に為された業が「啓示」
であるとしたのです。まさに、神は大宇宙を創造され、その中の地球も神の創造物であり、その地球を世界に持つ人間は、地球からの恵みである海の幸や山の幸(食料)で命を繋いでいます。しかし、人間は自分達の持つ英知を自分達自身が培ったものと錯覚する傲慢性を、有史以来幾度となく冒してきました。そこで神は、人間にそれを戒めるために、啓示として災難を与えたという回答を得たのです。
 それが真か虚偽かは別にして、人間は天地の災害の中で叡智を養ってきたことは確かな事実です。つまり、神も世界(自然)も法則の下で不変の営みを繰り返していますが、人間だけはそこから学び、自分達を修正してきたのです。つまり、人間だけが変化に対応する能力があるというのです。
 従って、ビギナーズ・ラックの成因も、この人間の叡智の何かに秘密があるのではないかと、私はその経験則から気付いたのです

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/

 

今週の喝 第633号 (2017.6.5~2017.6.11)

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる


成功への道しるべ!!この世は全て催眠だ

 


   
「鬼才・茂木健一郎さんとの出逢い!」

先般、脳科学者の茂木健一郎先生をお迎えして、我がホームステージの心華寺で、「自分のための人生をわくわく生きるために!!」というディスカッションの司会をいたしました。
その中で、茂木先生は私に、“おもいで酒”を作曲したときの私の心の状態について詳細に聞かれました。私も懐かしく38年前、26 歳の私を無意識で内観(振り返り)しておりました。あの曲は私が24 歳の時に、ひょんな出逢いから詞を受け取り、一度も演歌Musicを作ったことのない私が、何もわだかまりを持たず、作曲したのを思い出しました。
こんな私のフィードバックを茂木先生は感じ取られたかのように、「どのくらいの時間で、作曲しましたか?」と、まるで司会者のように私に尋ねられました。私は、隠すことなく、また衒いもなく、「約2分ほどで、メロディーは浮かび上がりました」と答えると、世に残る曲は、多くの作曲家をリサーチしても、短時間でその骨子は出来上がっている旨を、脳科学者の立場から解説して下さいました。


私自身、その当時は自分が作曲した歌がヒットするなど思いもしないどころか、その曲が大きな波紋を世間に投げかけ、それに関わった人達の運命をも揺るがすなどと思ってもみないことでした。私は、単純に小林幸子という素晴らしい歌声に出逢い、感動しておりました
現に、当時の彼女は第一プロダクションの所属でしたが、マネージャーも付かず、たった一人で仕事に出向いて来るような“売れない歌手”でした。しかし、私は彼女の歌声で“おもいで酒”を聞いたとき、「上手い!」と感動し、只ぞれだけで嬉しくなりました。もちろん、その曲がヒットし、後に著作権協会から“お金”が入ってくるなど、全く念頭にありませんでした。


★★「純であれ!」

     この啓示は「苦」からの気付き★★


茂木健一郎先生曰く、
その純な心こそ、素晴らしい歌を生む原動力だと思う。何の執着もなか
ったでしょ」と、私をたたみ掛けます。振り返ると、あの曲以降の私の心は、「歌を作れば、儲かる!」という邪心に苛まれてゆきました。(作曲)技術というのは正直なもので、私の心が汚れようが曇ろうが、学べば学ぶほど上達してゆくのを私は感じました。当時、20歳代後半に差し掛かった私は、意欲に燃え、曲作りの色々な手法を貪欲性も手伝って習得してゆきました。今、その当時の私の作った楽曲を聞くと、高い技法と、新しい発想に燃えているメロディーラインが窺われます。
しかし、今日、茂木先生に逢った後、自宅でそれらの曲を聞き返すと、テ
クニック的要素の素晴らしさは感じるものの、そこに素直さや純粋さは感じられません。何かうまく解説出来ませんが、肚の底から湧き上がってくる感動ではなく、作為的な過度な美意識が感じられるのです
これらの歌を聞くのは、一般大衆で作曲技法や歌本来の美意識の研究な
どしたことのない人達です。しかし、人間はこの微妙且つ、目に見えない細やかなことを感じ取る感覚が生まれつき備わっているのでしょう。それは、音楽の勉強はおろか、音符も歌詞の意味の取り方も学んだことのない、俗に「素人」といわれる人達には、摩訶不思議なことに見抜かれてしまうのです。
一見「凡人」と思われる素人に、何故、一所懸命努力して勉強した者の心
が見抜かれてしまうのか……このような疑問が、茂木健一郎先生の口から端的に表出されたのです。
何も知らない、何のわだかまりもないからこそ、純な心が表出し、直感と
も言うべきひらめきで、瞬時にその楽曲の純vs不純を感じ取ってしまうのです。その感性は、その歌に対して「どうでも良い!!」……つまり、流行ろうが廃れようが、その人達に関係がない故に、「傍目八目」的感覚で物事を見ていられるからこそ、その良否が明快に分かるのです。
このような事例から、人間情動のシステムを紐解くと、曲作りで金が動くと知った次から、ヒット曲が遠ざかっていった事実……それは、「邪念があるかどうかは、邪念がある人間にはその区別が付かない」という大発見があったのです。
私たち作曲をする者の心の様相は、その曲を世に広め会社の利潤追求のために貢献しようとするディレクターには、見ることが難しいということにもなります。“おもいで酒”は、B 面の曲です。つまり、ディレクターはその曲の生命力を感じ得なかったと言えるのです。私も、同じ穴の狢である故、“おもいで酒”以降のヒットに恵まれなかったのです。
しかし、この事が現在の我がSCHOOL でお伝えする、根本的発見に繋
がったのですから、人の世は、正しく「糾える縄の如し」であることを、今更ながら実感しています。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/

今週の喝 第632号 (2017.5.29~2017.6.4)

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!この世は全て催眠だ375

 

     「理性vs感情……どちらが勝利?」
                                 
 
 先週は「恐怖心」はなぜ起こるのかについて、お伝えしました。その回答は、全てにおいて(心と身体)「礼節のないところに起こる最悪の感情」でしたね。
 もっと詳しく分析すると、恐怖心は感情の発露ですから、感情抑制をしてゆけば“勇気”が出てくると言えます。人間だけが持つ感性……それは、論理的に物事を捉えることのできる「理性能」を持っていることです。この理性能が限界を超えたときに起こる心の現象が「キレる!」です。つまり、人間は「理性vs感情」の中でせめぎ合っている生き物なのです。
 この理性能の限界はどのように決定されるのかというと、まさしく、現象に対する対処・対策を如何に臨機応変に用いる能力があるかにあります。それは、どのようにして習得するのかと言えば、できるだけ多くの事例を想定して、それに対応するやり方を学ぶことです。
 囲碁や将棋の名人は、相手のあらゆる手立てにどう対応し、その対応に相手がどのように対策を立ててくるかを想定することで勝敗が決まります。最近のコンピュータとの対局は、人間がコンピュータに如何に多くの情報をインプットし、その情報から演算される手立ての内で、どの手立てが勝敗の趨勢を握っているかをこれ又、演算によって求めることを繰り返すことで、段々勝率が上がってきます。それは、負けたことをコンピュータは記憶し、その対策をシッカリと捻出して対処に用いるのです。但し、人間と違って、コンピュータに勘違いや忘れるという、同じ間違いを繰り返す事はありませんので、時間が経るに従って、人間よりも勝率が高くなって行くのです。
 その昔、大ヒットした映画でアーサー・C・クラークスタンリー・キューブリック監督の製作した「2001年宇宙の旅」のコンピュータ「ハル」がそれを予言した存在として描かれていましたね。

 

★★「恐怖心」は礼節の警報装置!?★★

 話をシンプルにしましょう。
理性と感情が対決をすると、演算機能が働く理性が勝利することは分かっているのですが、その理性能には限界があって、その限界は“学ぶ”ことで上限をアップする事が出来るのです。また、人間には「勘違い」や「忘却」がつきまとい、それが学習を遅らせることも日常的に体験しています。
 そこで、昔より人間の持つ理性をより高度に発達させるために、我々は「学ぶ」ことでそれが可能であることを体験則より知りました。また、不思議な事に、「学びたい」と心を傾ければ、教えてくれるべき人「=師」が不思議と現れることも体験則の中から分かっています。則ち「邂(かい)逅(こう)」が起こるのです。この事については、後々にお話ししますが、キリストが「求めよ! さらば与えられん」と言ったことは、実際に数多く起こっています。
 このように、師を求め、師につくということは、その師に対してキッチリとしたバランス態勢(礼儀)を作り出さないと、師とて人間ですから“感情的”になり、人間関係の破綻が生まれます。そうなることは最悪であることを、我々人間は無意識に承知していますので、私が考えるには、礼儀を尽くしていない時には、その礼儀によって生まれるバランス感覚が揺らぎますその揺らぎを、潜在意識は我々自身に“恐怖”を警鐘として感じるように、天がシステム化したとすれば、総て辻褄が合います。
 もちろんこれは私の仮説ですが、実際に礼儀正しく人に接すれば、不思議と心は安寧化し、恐怖心が薄らいで正々堂々とした心……明鏡止水の状態になります。そして、その上に、人間が人間の尊厳である「約束を守る」行為を心掛ければ、そこにある人間関係に清廉さが生じ、より恐怖心が緩和されてゆきます。
 礼節……つまり礼儀と節度、もっと端的に言うと“礼”=人間関係に於けるバランス感覚と、“節度”=約束を守る義侠心が、相手に対しての恐怖を払拭してくれるように天(神)は我々を創造されたのです。
 これを、逆説的に解釈すると、恐怖心が生じたときには、私の行為・行動・思考から礼節が欠けていると解釈できるのです。我々人間は、個人的見解から見れば、恐怖心が心を満たした勇気のない自分が嫌になりますが、社会的見地から見ると、礼節のない人間ほど人間社会に迷惑な存在はありません。つまり、恐怖が心に生じたときは、社会や人間関係において、礼節が欠如している警鐘だと考え、今ひとたび、自分の思考行動に於ける「礼節」の在り方を見直せば良いのです。逆に言うと、勇気が出てくるときは(それが蛮勇ではなく)、自分自身、キッチリと礼節を守っていると解釈して間違い有りません。
 我々人間が「人前で上がる」という現象も、そこにシッカリとした予行演習や、礼節を保っていなかったために、自分の心が揺らぎ、理性を逸して感情的に乱れた結果なのです。
 さて、その対策は、催眠法にあるのです。

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/

[今週の喝]第631号 (2017.5.22~2017.5.28)


潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!この世は全て催眠だ374

 

              「呼吸・筋肉・想念」は平行移動!

                            
 
 人間が何をするに付け、最も忌むべき感情は「恐怖心」です。恐怖は、我々の最大事である決心が優柔不断になるだけではなく、遂行能力も著しく低下させます。そして、筋肉に力が入らなくさせてしまうマイナス感性の最たるものです。この恐怖心を払拭する手立てを修得すれば、人は勇気凜々、何事にも真っ正面から正々堂々とぶつかって行く勇気を持つことが出来ます。
 先週述べた、「呼吸・筋肉・想念」が互いにい影響し合い、平行移動しているという人間の情動のシステムから逆算すれば、呼吸だけが制御可能です。だから、古来より呼吸調整(呼吸法)で自分の心を統御したのです
 呼吸のことを“息”と言い、「自分の心」と書くように、呼吸の深い、浅いは、自分の心の表れです
 昔の武術の達人は、相手の呼吸を読み、その呼吸の隙間に間髪入れず、技を掛けていったのです。ですから、古来の一騎打ちに代表される戦いは、「呼吸の読み合い」と言っても過言ではありません。その読み方は、呼吸の深い浅いで判断出来る故、それを活用して、相手の心理的気配を察し、その隙に乗じて色々な手立てを引き出すのです。そして、自分の心の有様(主に感情)だけではなく、相手の感情の位置を「心の法則通り」読むことで、勝負を有利なように導く手立てとしたのです
 ここに書いたように、昔の武人達は、ギリギリの命脈の中から、「呼吸・筋肉・想念」の同一性法則(シンドローム)を見いだし、それを自然に(経験則として、または教育の手を加えて)体得して行きました。
 また、視点を“病気”と変えてこれらのことを判断しますと、やはり、筋肉の固さが、呼吸の浅さや回数と同期していることに気付きます。それは、呼吸が「乱れる、浅くなる、荒くなる」……つまり、そのトレーニング方法を知らないままでいると、我々の考え方や感じ方は、マイナス方向(悲観的で臆病)の方向に曲がり、あらゆる判断が狂ってきます。

 

★★「恐怖心」は何故起こるのか?★★

 恐怖心はどのような状況で心に湧いてくるのでしょうか?
我々の心は、大きく分けると理性と感情の2つのパターンを持っています。人間は、平素、他人と接するときには、社会性や己のプライドなど、他者から見てどう思われているかを気にしながら言葉や行動を選んで用いています。これが理性です。
 しかし、自分の理不尽や弱点を執拗に相手が指摘したり、何かの理由で打ち負かそうとして攻勢に出てきた時、論理や言葉、自分の自制心を超えて感情的になり、暴力や暴言によって自分のプライドを守ろうとします。これがいわゆる「キレる!」という状態で、感情的になり、理性で制御できなくなります。
 これは、己の行動や思考が、論理では相手に解説出来なくなった状態の時に、まるで「窮(きゆう)鼠(そ)猫を噛む」が如く牙をむきます。それは詳細に分析すれば、自分の言葉や行動が理に適わなくなり、もはや逃げる余地がなくなったことで己の心が恐怖心に満たされたときに起こる、心の最後通牒のようなものです。
 我々は普通、暴力的に走る人間は腕力や武力が優位であると認識しがちですが、心の防衛機制は全く逆の働きに出るのです。つまり、もう為す術無しと感じたとき、今まで働いていた理性から感情にそのスイッチが入ります。ですから、感情的になり暴力的になる人間は、強いのではなく、逆に自分が弱い故に、「キレる」ことで己の恐怖心をなくそうとするのです。そのような事例は、我々の近辺には多く存在します。
 例えば、ナイフを持った暴漢は、恐ろしく強そうに見えますが、その内実は、自分の行為に恐怖心を持っていて、素手では心許ないので、ナイフという武器を味方に付けて挑んでくるのです。ですから、ナイフを奪うことが出来れば、案外、簡単に取り押さえることができるのです。(失敗すれば大怪我をしますから、「君子危うきに近寄らず!」注意して下さい)
 また、先の太平洋戦争で、米英支蘭4カ国に囲まれ、補給ラインを絶たれた日本は、ハワイを先制攻撃することで難を逃れようとしました。これは恐怖から来る所業で、優位にある者はこんな行動は取りません。また、現在では北朝鮮金正恩がミサイルや原爆実験で我々を牽制しています。これも、恐怖から来た感情的行為です。
 これら恐怖心によって無謀な行為に出た原因を探ると、皆、理不尽な行為や焦り、また、己の自己満足のために行った、礼を逸した行為です。「礼」とは、関係性においてのバランスのことですから、バランス感覚のない者が恐怖心を味わうということになります。つまり、恐怖心は礼節のないところに起こる最悪の感情なのです。

          この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/